3月14日 第二弾
恒例のなおたん第二弾
3月15日/チェロのレッスン
チェロのレッスンに西片へ。
引っ越しの日を4月後半としたのは,残務整理などさまざまな理由があったからだが,確実に4月に確定していた用は愛先生とのDuoだけである。引っ越してからもレッスンを続けられるかは微妙なところ。
3月16日/一泊でしらべ荘へ
次回の運搬に備えて,2月末に運んだ荷物を整理し,置き場所を確保する目的である。茅野の粗大ごみセンターに2度往復し,2日間,腰が立たなくなるまで働いた。17日がちょうどバースディだった小林節子さんはじめ,知人にも挨拶回りした。
3月18日/パパTに会いに行く
冷たい雨の土曜日。
ちゃらTはすっかりでれでれパパTになっていた。
そらちゃんは足が長い。7ヶ月なのにもう4頭身くらいある。
長くて器用な足を生かしたダンサー,なでしこジャパン,セパタクローなど,すでにパパの夢は広がっている。
3月19日/春な一日
東京の開花宣言から5日目。
冷たい雨上がりの朝,遊歩道でウォーキング。
気温は平年並み。桜の開花は進んでいる。
さて天才だし巻き卵が焼けた。
幡ヶ谷の駅前はコブシが満開である。
なにしろ60年も住んでいたのだからこんな駅の景色も懐かしくなるかもしれない。
四ツ谷の駅前。週5日,一日平均1.5回として21年間で8190回,この前の甲州街道を通っていた。電車で来たのはおそらく数回に満たない。
江戸城外堀の石垣
桝形に使われていた石。
「ここ取っぴー♪」
なおみのおにぎりとだし巻き卵でお花見としゃれこむ。
残念ながら桜は2分咲きほど。
のんびりと過ごす。
ミラーレスの修業中。
そろそろ時間である。
実はお花見はついでで今日はコンサート。
メインの演目はビバルディの「春」だった。
3/20/遊歩道ウォーキングとスマホのキャリア
ウォーキングは続いている。区境まで往復するとちょうど1km,二往復目の途中から足の付け根が痛み出す。腰が凝ってくるのでそれを庇おうとしてバランスを崩していくようだ。途中で二往復を終えたなおみがジョギングからウォーキングに変えて折り返してくるのに出会って,そこから一緒に戻る。バランスを崩したまま距離を伸ばすことはせず,当分はあせらず2kmにしようと思う。
眼医者さんの日だったので早稲田まで自転車で行った。片道30分弱。
小滝橋
「お兄さん,これ何分咲きだと思う?」
と地元の女性に声を掛けられた。咲き具合をLINEで発信しているそうだ。
「3分咲きです。」
お兄さんと呼ばれたのに気をよくしてボクはきっぱり即答した。神田川の桜も満開まではまだ間がありそうだ。
午後,いくつか住所変更の手続きなどしてから,懸案のスマホキャリア問題に取り組んだ。数年前,auからrakutenにしたのは,弟が
「rakutenは郵便局と提携するから,郵便局にアンテナが立って,田舎では圧倒的につながりやすくなる。」
と言ったからだ。ところがrakutenはしらべ荘が圏外だった。これにはびっくり。インターネットはWi-Fiがあるので支障ないが電話が通じない。これは支障が大有りだ。母のUQモバイルがdocomoよりもよく繋がっている。そこでSIMの入れ替えに挑戦しようと考えたわけだ。rakutenとUQのwebページを一生懸命読み,針金を使ってSIMカード取り出しのシミュレーションまでした。ただ,契約と解約のタイミングがどうしてもよく分からない。最近,UQがauショップで窓口相談に乗ってもらえるようになっている。60才以上のお年寄りにはSIMの差し替えも代行してくれるとある。60才以上のお年寄りとしては,つまらない意地を張るのはやめて電話してみるとすぐに予約が取れた。窓口で話を聞いたキレイなおねえさんがあれよあれよと言う間に全て代わりにやってくれた。なおみのiPhoneがボクの名義で,ボクのアクオスがなおみの名義という捩れも直してくれた。ちなみにMNP(番号ポータビリティ)予約発行の手続きをすると,新しいキャリアの契約と同時に自動的に元のキャリアは解約になるというオチだった。さて料金は高くなったのか安くなったのか,そこはちとわからない。rakutenがいくらだったのかよく把握できていないからである。
3月21日/さくらの花びら
今朝はなおみのウォーキングのペースがすこぶる遅かった。ときに追いついてしまうほど。鳥が啄んで道端に散らしてしまった花弁を見つけては拾い,それを両手いっぱいそっと持っているので走れないからだ。蕾のまま散ってしまった花も皿の中で咲くだろう。
3月22日/松本楼
平和な国日本ではワールドベースボールクラシック観戦が空前のブームである。昨日,劇的な逆転サヨナラでメキシコを退けた侍ジャパンが今日はアメリカと決勝を戦っている。ルールをよく解さない母となおみも朝からテレビにくぎ付けである。視聴率50%が近い。かつて「君の名は」というテレビドラマの放映中は銭湯の女湯から人が消えたという話を思い出した。これはチャンスである。
「松本楼のランチに行こう。」
昨秋,一度チャレンジしたが11時過ぎには長蛇の列ができていてあきらめた。今ならば日比谷公園から人が消えているかもしれない。もとよりにわか野球ファンの母とドレミである。あっさり天秤は侍ジャパンからランチへ傾いた。
「がらがら~」
先発した…と言っても投手のことではなく母を連れて先に車を降り,様子を見に行ったなおみからのLINE。車で待機していたボクはすかさず駐車場へ入り松本楼へ急いだ。
料理を待つ間に侍ジャパンの勝利を客の誰かが伝え,レストランの中は拍手に包まれた。母のおごりである。評判のカレーとハヤシのソースは確かにうまかった。がらがらだったのは11時前だったからで,帰る頃のはやはり長蛇の列だった。
午後,なおみは新宿にショッピングに出かけ,ボクは水彩とチェロに勤しんだ。
夕方,トヨタのディーラーに出かける。
数日前,Fクンにバッテリーを交換してもらった。松本楼にはそれ以来のドライブだったが,なんとナビの画面がロックしていた。パスワードを打ち込まなければ,ナビどころかラジオもバックモニターも作動しない。
「お母さんの旧姓は?」
…と画面に表示されている。まさかに前オーナーのご母堂の旧姓など知る由もない。近所のディーラーに持ち込んで初期化してもらうしかなかった。作業は30分ほど。あたらしいパスワードは
「ペットの名前は?」
に変えた。
3月23日/きゃるり・でんぐり
下高井戸のギャラリーに出かけた。義理の伯母にあたるニューヨークのスミさんがネックレスなどの工芸品を出品していると聞いたからだ。
ギャラリーは工芸品より,画家や版画家の作品が多く展示されていてとても刺激になった。
3月24日/JAICAと世界選手権
今年も東京は全国で一番早く桜が開花したが,都心では早い樹でもまだ8分咲き。ウチの前の遊歩道は満開を過ぎている。もしかしたら日本で一番早いソメイヨシノではないだろうか。
夜来の雨で早くも散り始めている。今日は母と二人で昼前の散歩である。
消防学校の道に回ってみた。大島桜も満開。
JAICAの前。
JAICAの食堂が一般にも解放されている。
とても安い。
エスニックランチ。これでおいしければ行列ができて,近所のレストランから苦情でも出そうなものだが,なかなかどうしてそうはいかない。
小さい頃,ここには鉄条網に囲われた医療少年院があった。ボクと弟は夜陰に紛れて鉄条網を這ってくぐり池に侵入したことがある。マッカチンと呼ばれる大きなアメリカザリガニを捕るためである。ふだんの捕獲場所は,当時まだ川だった玉川上水だったが,如何せん友だちとの競争も激しくマッカチンはなかなか見つからない。誰も恐れて近づかない医療少年院の池はマッカチンの宝庫である。池に侵入した勇者は仲間たちのヒーローだった。
医療少年院が移転した跡地は通産省と外務省と呼ばれていた。やがてナイトとジャイカという独立行政法人となった。大きな声では言えないが独立行政法人は役人の天下り先のためにあるものでほぼ役立っていないと思われる。そういう施設のいいところは,このように内部が変わらず残っていることである。整地はされているもののマッカチンの池も当時のままである。
教室を閉めて3週間。仕事がない生活にはあっさり慣れた。
だが,絵を描いたりチェロの練習をしたりするのが,「サブ」ではなく「メイン」の日課であることにはまだ慣れない。
さて,なおみである。
ひとりで浦和にでかけている。
仕事を辞める前にフィギュアスケート世界選手権のチケットを買った。
9時過ぎに出かけて10時半から21時頃まで11時間もここで過ごしていたことになる。
お昼も夕食もストイック(笑)
夜中に帰ってきて興奮気味に様子を話す。
「そうか。かおりちゃんは泣いてたのか。で,大ちゃんは?」
…とボクも「おもねり」モード全開!!
「で,そっちはどうだったの?勝ったの?」
そっちの方はテレビ観戦。続投した森保ジャパンの初試合だった。代表戦は平日開催が多く,これまで30年間実況中継は見られなかった。ウルグアイ代表と1-1のドロー。監督の続投は疑問だが次回からのW杯は出場枠が拡大するので予選敗退はないだろう。
驚いたのは母である。現在,家事はなおみがすべてやっていて台所に立つ気力がない。ひとりで留守番のときなど,なおみが用意しておいたお弁当を食べることすらしない。ところがボクがビールを飲みながら中継を見ていると「何か作らなくてはいけない」と思うらしい。冷蔵庫にある常備菜を温めたり,蓮根できんぴらをしたり,何品も作り,洗い物も次々としていた。母親とは不思議な生き物である。
3月25日/伯父の個展
義伯父はなおみの音楽の才をとても買っていた。可愛がっていた姪が大学在学中に男と駆け落ち同然に暮らし始めたことはかなりのショックだった。フィラデルフィア大学の教授でNYC在住の現代アートの作家である。なおみを攫った駆け落ち男…つまりボクの方も彼のプライドが鼻をついて好きになれなかった。ボクたちはことあるごとにぶつかった。それでも彼はボクを理解しようと努力はしていた。来日したときに忙しい日程を割いて,新井先生(ボクの大学の先生)の個展に行ったり,自分の個展にボクたちを誘ったりした。
ニューヨークでもボクを自転車でチェルシーのギャラリー巡りに連れて行ってくれた。
「全然,分かりません。」
ボクは彼の教え子のギャラリーに展示してあった4m四方もあるかと思われる幾何学模様の作品の前で彼にそう言った。彼はにっこり笑いながら,
「そうだろう。その分からないところが…いいんだよ。」
なるほど…とボクはその言葉に深く納得した。伯父の作品に対する評価も180度変わった。ボクにもアートというものが少し分かってきた。
2010年の夏,久々に日本で開かれた大きな個展に行くと,伯父の作風ががらっと変わっていた。
「広島の原爆をテーマにして描いている。これからもっと描こうと思っている。キミは反核の学生運動に参加していたそうだが今度話を聞かせてくれないか。」
結局その話は実現しなかった。個展を終えて帰国した彼は浴室の天井を塗装中に脚立から落ちて頭を打って帰らぬ人となった。
未だに彼の作品を評価する専門家は多い。今年も恵比寿のギャラリーで個展が開かれた。
駅で義母と待ち合わせた。ギャラリーには夫人,つまり義伯母が在廊していて歓迎してくれた。
3月25日/善福寺川の桜とワイン
教室を卒業しても慕ってくれる教え子は多いが,お付き合いの続く親御さんとなると数えるほどである。Tさんご夫妻とは30年来親しくして頂いている。もちろん,12月4日のコンサートにも駆けつけてくださった。
八ヶ岳に行く前にと夕食の招待を受けた。ご主人はイケる口である。ここはどうしてもご相伴に預からねばならない。車なら15分ほどのところに電車とバスを乗り継いで行く。問題は腰痛である。昼に雨の中を恵比寿のギャラリーまで電車で出掛けたばかりである。出かけたと簡単に書くが実は10分に一度はしゃがみ込む。最後は這うようにしてようやく帰宅した。Tさん宅は近いからと言っても侮れない。帰りはバスのない時間なることを予測し,タクシーを呼ぶアプリというのをダウンロードした。利用者登録して経路も入力し,あとは送信すればよい状態にまでしてから,勇躍出かけた。
京王線も井の頭線も運よく座れた。
コミュニティバスは満席だったが,途中優先席が空いたので崩れるように座った。こんな健康そうな男が座るのかと乗客の視線が少々痛い。
Tさん宅は善福寺川にほど近く,雨上がりの美しい桜並木を歩く。
到着。
ワインコレクションから取って置きの赤ワインを開ける。
ボクも料理の天才を標榜しているがジョークである。夫人は正真正銘の料理上手である。話も合う。あまりの愉しい晩餐に,最近アルコールにすっかり弱いボクはあっという間に酩酊状態となった。酔っぱらうと気が大きくなり,駅まで15分くらいの距離は歩けるような気がしてきた。ついタクシーアプリを起動するタイミングも逸した。
健常者の15分はボクの30分であったことよ。時折,地面にしゃがみ込んで腰を曲げ伸ばす。歩き始めると足はなんとか上がるのだが前への推進力がない。途中からなおみがずっと背中を押した。
駅に着いて無事を知らせるLINEに添付した写真。さながらゴビ砂漠でも縦断したような表情である。
3月27日/新宿御苑
雨上がり,予報は午後から曇り。ふだんは月曜定休で桜のときだけ特別に営業する。狙い通り,開園を待つ列は短かった。
義母と母とイザお花見。
驚いたことに外国人率が90%を超えている。英語,中国語,韓国語が飛び交い,日本にいるとは思えないほど。
欧米人にはソメイヨシノより椿が人気である。中国の方たちは真っ白な大島桜がお好みのようだ。
コヒガンザクラ 新宿御苑は江戸時代信州高遠藩内藤氏の下屋敷であった。江戸幕府譜代の内藤家2代目の清成が,家康の鷹狩りの供をしたとき「一走りで廻れた範囲を邸として与え」られたと言われたという逸話がある。その後,国替えで高遠城主となった7代内藤清枚が神田小川町を上屋敷として拝領し,この地を下屋敷としてコヒガンザクラを植えたという。
オオシマザクラ
ボクが小さい頃は入場料が100円だった。
その後,長い間200円だったのが数年前にいきなり500円になった。
犬が入れないのできっちり2006年から2017年までは代々木公園でお花見をしていた。
中の池
下の池は渋谷川の源流となっている。
「みなもと清き渋谷川 細くはあれど 一筋に貫き進めば末ついに 海にも至るぞ…♪」
母校西原小学校の校歌2番である。
枝垂桜
ニラバナ
なおみの作品↓↑
鴨がガンとして動かない。
オオユリの木まで戻ってきた。
駐車場まで往復して持って来たのは前夜から準備したお弁当。
「あら~,このクーラーボックス,テーブルになるのね。びっくり。」
お義母さま,20年前にここでお花見したときも,このクーラーボックスを使いましたよ。
東京の思い出となろう。
3月28日/中野通り
桜のトンネルは中野駅から哲学堂まで2km続く。午後,陽が射してくるのを見はからって車で通り抜けてみた。長いことこの道を日大板橋病院に通院した。手術が成功したのか,治療に効果があったのか今となっては分からない。哲学堂付近まで来ると江古田古戦場を真夜中にチャリ探訪した日を懐かしく思い出した。
なおみが気遣って中野通りからの帰りに笹塚で降りて母を買い物に誘ったが,とくに自分のものは買わずになおみのものばかりを買おうとしたらしい。夕飯も作業させようと,餃子を二人で作った。餡をなおみが分量ずつ分けて母に託したが,それを包んでいく作業が正確にはできない。皮と数が合わず,餡がたくさん残った。なおみがさりげなくフォローして包み直していた。
3月29日/面影橋
早稲田の眼科までクロスバイクで30分弱。甲州街道から山手通りを北上し,早稲田通りで再び進路を東に取る。小滝橋経由でJR,明治通りと越える。
途中,高田馬場の駅前を通るので停車中の車が多く走りづらい。
眼医者さんに引っ越しの日程を話すと急遽,本日抜糸となった。白内障の手術にふつう抜糸はないが,ボクの左目は網膜剥離の手術で白目に傷が残っているために黒目から切開したそうだ。そのために術後に糸で縫い付けてあった。抜糸は手術室で行ったが10分ほどで終わった。
帰りに少し回り道して面影橋に寄ってみた。神田川の中でもとりわけ桜の濃い地域のひとつだ。山吹伝説も残っていて,夜チャリで訪ねたこともある。ところがこんな場所でも外国人率が50%を超えていた。日本人の花見客はどこに行っているのだろう。
3月30日/トレーニング
季節は早くも八重に移った。
ウォーキング中,常盤橋の八重桜
夕方,チャリ旅のトレーニングを兼ねて自転車で笹塚から初台まで玉川上水跡を走った。
笹塚付近。昔と変わらず川が流れている。
朝のウォーキングの折り返し点
幡ヶ谷
3月31日/前田利為邸跡
昼過ぎから自転車。走ること10分ちょっと駒場公園到着。
ウチから近いのに来たことがなかった。
前田利為侯爵駒場邸跡
目黒区が無料開放している。
前田利為侯は加賀前田家の藩主として幕末を迎えた。
いやはやたいへんな豪邸である。
洋館と繋がった和館跡
戦争に負けていなければ,ここはまだ前田邸だったろう。