6月5日/せっちゃんにサマーチェリーをもらう
母は友だちとの旅行のため上京する。東京にいる間は弟が面倒を見てくれる。
母の体調がよくなってホントによかった。これで今夜はチーズ料理が作れる(笑)なおみを負担から開放してあげることにもなる。介護は抱え込んではいけないとよく言われる。
オシャレツートンライフでJAにお買い物。
ペイントの端をコンパウンドで磨いて滑らかにする。塗ったままでは爪でもかんたんに剥がれそうなのでその対策。
母が不在でも淡々と草を刈るなおみ。レースフラワーとマーガレットが庭を埋め始めた。
午後はクッキーを焼いていた。
せっちゃんちと彼女のジムニー
夕方,せっちゃんの家に彼女のFacebook環境を整えに行った。せっちゃん…小林節子さんはフリーアナウンサーである。元はフジテレビの人気アナウンサーだが,ボクたちはテレビを見る機会がほとんどなかったので存じ上げなかった。そう言えば本当に美しい日本語で話される。10年数年前に原村に移住されていてひょんなことから知り合いになった。人脈もすさまじく,何よりポジティブな性格のために,それはまあ驚くほどたくさんのプロジェクトに関わっている。とにかく忙しい方だ。
これは彼女のアカウントのヘッダー用に描いた水彩だが,この家を知る人が「ジムニーが駐車場にあることは珍しい。」と口を揃えていた。それほど毎日飛び回っていらっしゃる。その活動をFacebookで発信する必要に迫られてボクがお手伝いしたというわけである。賑々しくFacebookデビューを謳って,大勢の人にいいねされているが,どうせ忙しすぎて続かないだろう。ボクのお手伝いは手ほどきしただけで済まず,たぶんこれから…ときどきシェアを促しに行かなくてはならないだろう。
ボクたちの原村移住の歓迎会に何かごちそうするとおっしゃるので,
「お気持ちはありがたいけれど,そんな散財はせず,今夜はチーズ解禁,なおみがピザを作るのでご一緒しませんか。」
と夕食に招いた。ボクがなおみに報せるために先に帰ると,あとから両手で抱えきれないほどのサマーチェリーを持って来てくれた。
さすがアナウンサーだからかなのだろうか,とても聞き上手で,ボクは彼女といるとまるで授業していた頃と同じくらい雄弁な語り上戸とされてしまう。不思議で魅力的な人だ。
6月6日/もみの湯のランチセットに行く
2日の大雨の傷跡があちらこちらに残っている。排水溝がつまっているところではいまだに水が溢れて道路が冠水している。
二人で過ごす二日目だが,なおみは朝からいつものように草抜きに余念がない。ボクもライフのコンパウンド作業を終えたところで,もみの湯のお得な入浴&ランチセットに行こうと意見が一致した。
車なら3分ほどの距離だが,歩くとけっこうある。
途中,こんな看板を見つけた。奥に朽ちたものもあるので新設したのだろう。ウチから歩いて5分のところに村民の森があるとは知らなかった。駐車場はなく,一日4本のコミュニティバスのバス停があるだけ。いったい誰がいつどうやって利用するのだろう。
到着。
昔は頻繁に訪れたがここ数年はとんとご無沙汰している。何しろ夜6時過ぎは300円だった入浴料が650円に値上がりしたからだ。216%の値上げ率である。東京の銭湯より高い。リッチな別荘地の住民や野菜農家しか利用できない。一般村民のボクたちにとってはハレの日だけ利用するレジャー施設になった。
お風呂とランチで1200円。HPの表示より2割値上げされている。
むふふふ。このために歩いて来た。2353歩は片道の歩数。昼間から生ビール!!究極のゼイタクを味わう。
ただしビールの値段も4割増しになっている。世の中にはただ物価が上がれば経済が活性化して生活が楽になると本気で信じている人が大勢いる。
これくらいのゼイタクが庶民には精一杯になってきた。
帰りもウォーキング。ボクがしゃがんで休むたびに行軍は止まるので帰るのに時間がかかる。
6月7日/松本中町通り
朝,NBのハードトップを外してオープンにする。
出発!!
「自撮りするとジェットコースターみたーい。」
かっこいいロールバーだがボクの座高だと前方の視界に無理があるかもしれない。
塩尻峠を攻めて(笑)松本に到着。ここは陸事の松本支局である。諏訪ナンバーに移転登録するためにNBでやってきた。
ついでに松本の町をプチ観光する。
なまこ塀の道が美しい。
中町通り。
残念ながら古い町並みが残っているわけではない。よく整えられているがいくつかの移築された建物のほかは観光用であろう。
物価はすこぶる高い。
ショッピング大好きななおみもさすがに引くほどの観光地料金。それでも外国人観光客には人気のようだ。
これは古い井戸を移設したもの。現役で使える。
蔵シック館は古い造り酒屋が移築されたものだそうで無料で見学できる。
画材屋さんが定休日だったので,ボクのショッピングは一瞬にして終わった。
清潔でしぶい裏通り。夜はちょっとしたネオン街になるのかも…。
さてお腹が空いた。平日のお昼少し前,すでに「ただいまの待ち時間30分」と張り紙のある店の前に観光客が並んでいた。
ボクたちは「フツウ」の値段のお店でランチを頂く。
こ,これでハーフサイズですか!(;^_^A
「はい♪ハーフでございます。」
…とキレイな女給さんがにっこり笑う。
「山賊焼き」という鳥のから揚げは信州ご当地名物であることを初めて知った。まだまだ信州初心者である。
さて,急ぐ旅でもなし。長野道も19号も使わずに北アルプス山麓を塩尻まで走ろう。
夫がキングサイズだと服を調える妻の負担は大きい。19号で見かけたワークマンに飛び込むと作業用だけでなく普段着もいくつか買うことができた。
ちなみにボクは生まれてこのかた自分で着るものを一度も自分で選んだことがない。高校1年のときはすでに身長が180cmを超えていた。当時の既製服で着られるものはなかった。友だちはみな渋谷や原宿に服を買いに行ったが,ボクは自分のファッションに興味を持たないようセルフコントロールした。オシャレな服を買おうとすればインポートものしかない。家計に負担をかけたくなかったから母が買ってくるものを黙って着ていた。結婚してもそのへんの経済的事情は変わらないが,調達するのが母からなおみに代わって一気にオシャレになった。なおみは限られた予算で買い物する天才である。
東京ではたいていのものは新宿サカゼンで足りていたのだがこれからはそうもいかない。アメリカンイーグルもオールドネイビーも撤退し,サカゼンは遠くなった今,ボクの衣類はしまむらとワークマンに頼らざるを得ない。
さて安曇野まで足を延ばしたのは他でもない。
安曇野市豊科近代美術館
中島潔さんの画風はあまり好みではなかったのだが,亡くした愛犬うめ吉を忘れられずに作品に頻繁に描きこんでいらっしゃるという話をテレビ番組で知ってすっかりシンパシーを抱いた。ボクも真似をしたいが如何せんタローは画面上での存在感がありすぎる。実物のうめ吉画はどうなんだろうと思って展覧会を見に来た。
ところが最近の絵の中に登場するのはうめ吉くんではなかった。ボクらと違って中島さんには新しい愛犬はあとくんがいて,現在のモデルも溺愛するはーとくんだとのことで興ざめしてしまった。絵はとても美しく緻密だった。ボクはいつものように車椅子を借りられたので腰痛に苦しむことなく鑑賞できた。
美術館のバラ園が花盛りだった。
ところで豊科という地名が影を潜めている。豊科インターの名もいつの間にか安曇野に変わっている。
これも例の町村合併の結果らしい。「科(しな)」を冠する歴史ある地名が行政や観光の都合で消えていくのは寂しい限りだと思いながら調べてみて驚いた。
なんと「豊科」自体,明治時代の町村合併で作られた地名だった。鳥羽,吉野,新田,成相の頭文字をつなげた地名だとのこと。これにはびっくり。
安曇は渥美や熱海などと同じく朝鮮半島からの渡来人の姓である。おそらく6世紀に白村江の戦いのあと天智天皇に保護されて近江に住んでいた安曇一族がやがて全国に散り,松本平の西部にも侵略して来たと思われる。1400年を経てついに地名でも地域に覇を唱えたというわけであろうか。
こちらなおみのiPhoneの自信作。さてまだ日は高い。しばらくは安曇野を走って帰ろうか。
麦秋とラヴェンダー
麦秋とNB(笑)
ドライブが好きだったボクとドレミは頻繁に乗鞍や野麦峠,そして安曇野あたりまで日帰りで走りに来たものだった。
原村を初めて知ったのもそんなドライブの帰りだったと思う。
再び塩尻峠を越えた。岡谷で日が暮れたので「さんれーく」というファミレスに立ち寄った。
原村に家を建てた1995年頃,甲州街道が茅野のバイパスから旧道に戻るあたりにショッピングモールができて,その向かいが「さんれーく」の支店だった。当時はホームセンターや大型ショッピングモールはそこにしかなかったので,周辺はとても賑わい,ボクたちも何かというと「さんれーく」で食事をした。接客がとても丁寧でマニュアル通りでないのが心地よかったのだと思う。とくにいつ行ってもいらっしゃる50代くらいのウエイトレスさんとは顔なじみで会うのが楽しみだった。5点ハくらいあろうかと思われる頭の遥か上から出るような高い声の持ち主で「お客さまー!!」とやるものだからきっと他にもファンが多かったと思う。
坂室にトンネルが開通してバイパスが東に延びると,旧道に取り残される「さんれーく」は閉店してしまった。
先日,岡谷のホールにコンサートを聴きに来たとき,偶然「さんれーく」の本店が健在なのを発見して懐かしさがあふれた。両角さんはもちろんいなかったが,同じように50代らしきウエイトレスさんが
「かっこいいスポーツカーでお越しですね。」
と言った。どうやら接客のポリシーは今も変わらないようだ。
今,「さんれーく」はここにしかないのですか?と聞くと,
「ここだけです。みんなつぶれてしまったのです。」
まるでオーナーであるかのようにとても寂しそうな顔でそうおっしゃった。ボクはたぶんまた何かと言えば「さんれーく」に食事に来るだろうと思う。
6月8日/連続松本事件
ドレミ撮影
ここは松本盆地を見下ろす丘陵の上。
なぜ二日連続で松本に来たのかと言うと…昨日の移転登録にはオチがある。
実は希望ナンバーの交付日を一日間違えて昨日は登録ができなかったのである。素人が自動車の登録の書類を調えるのはとてもタイヘンである。それに意識を持って行かれてナンバーの交付日はノーチェックだった。せっかく他の書類が全部通ったのに肝心のナンバーがなかったので昨日は無駄足になったという笑い話。コワモテの職員もさすがに同情していた。
今朝は出掛けるときいちおうなおみに「天気もよくないから一人で行った方がいいかな」と言った。
「いいよ,付き合ってあげ…」
あ,そう。じゃあ一緒に行こう。気が変わらないうちに急いで助手席に押し込み,今日も今日とて二人でやってきた。
なおみにおもねるため,道の駅だけ寄り道。なんとこれは全部りんごジュースである。生産者がみんな違う。
こちらは全部りんごジャム。選びようがない。
食堂はまだ開いてなかったが,二人ともお腹が空いたので売り場のおやきを買ってベンチで食べた。かねがね一度食べたいと思っていた牛乳パンは子どもや若者向けである。高齢者にはちとべっとりクリームが重すぎた。
それから4たび塩尻峠を越えて帰った。高速を使わないのには経済的事情もある。何しろ現在二人とも無職である。
急いで帰ったのは,今夜また土砂降りの予報だからだ。
先日の大雨で庭の水路があちこち土砂崩れを起こしている。
大雨で決壊するとタイヘンなので泥攫いして水みちを確保せねばならない。
崩れて水路を塞ぐ岩が重い。3ヵ月前まで丸つけの赤ペンより重いものを持ったことがない生活だった。
なんとか作業を終わった頃,西から雨雲が近づいて来た。
雨の夜の晩餐はドレミ農園で初収穫したレレレのレタスと松本の道の駅で買ったクレソンの天ぷら。袋いっぱいで200円だった。
レレレのレタス以外のドレミ農園作物はビミョウな状況にある。