OUR DAYS 2023年2023/9/10-13

9月10日/金魚坂

前々日の夜から東京入りしたがもはやボクは練習に倦んでいた。前日の練習ではここではこんな表情をしよう,このへんでは眉根をひそめたりしようかとビジュアルのことまで考えていた。

一週間前のレッスンで暗譜で演奏した方がいいのではないかと先生に進言し止められたくらいだから,当日の午前中にはもう目をつむっていても弾けた。義母が花束を持ってかけつけるとの知らせにも余裕で「ありがとう。どうぞ」と答えた。自信満々だった。会場入りしてからは二台のカメラの準備に余念がなかった。

新たなチェロ生活のスタートとなるはずだったこの日の金魚坂が,まさかチェロをやめる決意をする場になるとは思ってもいなかったのである。演奏会が始まった。だいたい初心者からなのでみんな下手だった。ボクの順番が来た。拍手が収まり,伴奏する愛先生がちらりとボクを見た。合図を待っている。ワントゥーで息を吸った。

フォルテでアップする最初の一音のあと,左の指が固まって動かなかった。演奏が終わるまで何が起こっているのか理解することができなかった。何度も音を止めてしまって,愛先生が棹に貼り付いたボクの指を剥がすように正しいポジションにずらしたのを覚えている。この日出演した誰よりもひどい演奏になった。

…それはまあいい。高齢の初心者にはよくあることだろう。だが異例のデュオをプログラムにしてくれた先生のメンツをつぶしたことは耐えがたかった。ボクは明らかに何年もレッスンを受けているお弟子さんたちを差し置き,発表会で先生と弾くという特別扱いを受けていた。メンタルが打ちのめされた。

同じような異例のプレッシャーの中で,緊張しながらもなおみはバイオリンの先生とのデュオをソツなくこなしていた。これはもう場慣れとか経験とかでは説明がつかないように思う。一言で言えばボクは「向いてない」ということだ。きっぱりとチェロをやめることにした。もう一度今日のメヌエットの練習を続けてなおみのバイオリンとデュオでの演奏を録画して,指が動かなかったのは金魚坂だけだったことを証明し,弓を置くことにする。

9月11日/9/11Days

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22年前の7月になおみの留学先だった叔母の家の窓からボクが撮った写真。

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ここはWTC近くのクイズインのテラス席

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9月20日頃,避難先から戻ったなおみが撮影。

あれから22年。人の口にもあまり上らなくなった。

9月13日/庭のタロー

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2013年9月しらべ荘にて

いくら時が過ぎても受け入れられないままの現実が今も宙に浮いている。今日はボクたちの息子タローの月命日。5年と9ヵ月が経った。

9月14日/アンコールを直したい

しらべ荘はアメリカ製の薪ストーブを中心に設計した。ほとんど使わず28年。本格移住にあたりどうしても修理したくて相見積を取ると,暗に買替を勧める業者の多い中で,伊那のストーブ屋さんだけがきっぱり「1995年アンコールブラック メンテナンス可能です」と返信して来た。彼に託そうと思う。

9月15日/ザラメと会う

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なおみの後遺症は続いていて,毎日午後になると発熱する。今月に入ってウォーキングはいつも一人で出かけている。

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今夜の最終バスで諒子とリリが来る。

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久しぶりにザラメに会った。

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ザラメは毎朝,お父さんと一緒に二人の娘さんを途中まで小学校に送っていく。

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お母さんは村の子ども会の役員をされているそうで,実は上の娘さんはなおみのプロデュースするお囃子で笛を担当することになっている。

まだ,笛を教えるのがなおみだとは知らないので,きっと驚くだろう。

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夕方,買い物やかかりつけの婦人科で茅野まで下りていたなおみと待ち合わせて墓参りに下りた。

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帰りもボクは母の用でJAに寄り,なおみは薬局に行くので別々に帰った。

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でも,あまりに夕焼けがきれいだったので,また農場で待ち合わせた。

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