Aug.8th, 2018
12.音楽祭
レモネード割り
近代美術館のエレベーターを下りていったんホテルで休むべく帰路を急ぐ。
馬洗い場の前にさっきは気づかなかった真新しい「サウンドオブミュージック」のショップがオープンしていた。あまりはやっていないようだ。
新市街に戻ったところで遅い昼食をとって行こうということになった。今回の旅行は体調を考慮して朝のパンの残りとかお菓子とかでランチ済ませていたが,今日は夜が遅くなるので夕飯が食べられないかもしれないからだ。
さて…と。
お隣さんに「そのお飲み物はどれですか?」と聞きに行っている。メニューの中から探した上に丁寧に教えてくれる。
「ビールをレモンジュースで割った飲み物なのよ。」
ん?それって…
「それって!!」
クラーラじゃん!!クラーラはスペインの飲み物だ。何年か前にカタルーニャを旅したときにハマった。↓
なるほど。ここでもみんな昼間っからアルコールをぐいぐいとやっているわけではないんだ。ライムジュースで割った白ワインは後ろの席のご夫婦のおすすめ。
ラビオリを二人でシェアする。
…正直に言おう。オーストリア(ドイツ)料理に少々飽きた(笑)悔しいけれどザルツブルクでイタリアン。
テーブルの下に普通にワンコ用の水飲み桶が置かれている。ぼんやりとタローを想っていた。
そのとき店のヨコをミナが通った。三度目の偶然の出会いだった。飼い主も不思議そうに,そして嬉しそうにしていた。ボクらは席を飛び出してミナを抱擁した。
店を出て歩いていると空からひらひらと小さな小さな赤紫色の紙片が一枚落ちてきて目の前を舞った。どこかで鳴らされたクラッカーかくす玉にでも入っていたのだろう,手を伸ばすと手のひらの上にふわりと落ちた。ボクはそれをポケットに入れた手で鼻をすすりあげ,落ちてきた空を見上げた。それからまた黙って歩き出した。 遅れたボクをドレミがけげんそうに振り返った。
モーツァルテウム
ホテルに戻り,1時間ほどベッドでのびていた。
さあ,そろそろ着替えの時間だ。
そう!ドレミに言われてキングサイズ洋品店で夏の礼服を新調したのはこの夜のため。それでいて自分には
「あたしは安いのでいいの。」
と,ネットでリーズナブルな青いドレスを買ってきた。
まさに馬子にも衣裳の一丁上がり。
ドレミが選んだコンサートはウィーンフィルの団員による弦楽六重奏。
オペラではないし新市街の小さなホールのコンサートだけどやっぱりザルツブルク音楽祭である。精一杯かっこよく決めたい。
入場してまず行ったのは中庭。聴衆たちがビュッフェのワインを楽しんでいる。この写真,どういう場所から撮っているかと言うと…
じゃーん!!
え?このあずまやの何が「じゃーん」なのかって?…実はこの小屋は「魔笛の家」と呼ばれている。ドレミがこのコンサートを選んだもう一つの理由でもある。
魔笛の作曲をモーツァルトに依頼したのは,台本を執筆し自ら出演もした俳優で興行主のエマーヌエル・シーカーネーダー。彼は当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトが作曲に集中できるようウィーン郊外に所有する劇場の敷地内にあったこの小屋を提供した。彼の死後20年ほどたって小屋はザルツブルクの国際モーツァルテウム財団の中庭…すなわちここに移設された。つまりモーツァルトは実際にこのあずまやで魔笛を作曲したのである。
1ベルが鳴って席に着いた。待つほどに観客席は全て埋まりコンサートが始まった。
演奏は圧巻だった。ホールも最初の音が出たときボクは自分の背骨から音が出たのかと思ったほどの響き方だった。
演目はフーゴ,ドヴォルザーク,チャイコフスキー,ドレミですら全部知らない曲ばかりだったが春からずっと車のCDで予習してきたので耳に馴染んでいる。構成はシンプルな四重奏から五重奏,コントラバスまで入った六重奏まで色々だった。リーダーのバイオリン奏者はまだ若い女性でアグレッシブ,ドレミはチェリストの上手さに感嘆していた。どうやらビオラを弾いている初老の男がメンバーの中では一目置かれる存在らしく,団員たちが彼に気を遣って緊張しているのも微笑ましかった。
休憩時間のスパークリングワインは7€(910円)。ボクらはトイレが心配なのでいつもグラス一杯を二人で分ける。
終演のモーツァルテウム
ホテルに帰る道すがら,またまたイタリアン(笑)
もはや地物を食べるという意地を捨てて確信犯のイタリアンである。
二人で1枚のピザを注文したらこうやって運ばれて来た。鮮やかな気配り,チップ25%級である。ボクらはそれぞれ感激と感謝を口にした。すると若いウェイターは調子に乗ってうやうやしく腰を屈めながら言った。
「謝々」
オレたち日本人だよ!!
不興を買ったことが分かりウェイターはしまったという表情をした。まだまだじゃのう。この旅でも何度も経験したが手練れのウェイターならば事前にさりげなく外国人客の国を聞き出している。あるいはそういう手間を省きたくなるほどほとんどの東洋人客は中国人だということだろうか。
それでもサービスの細やかだったことには違いないのでチップははずんだ。飲食代はチップをはずんでもまだ東京のそれよりははるかに格安である。