31/桜田門と宮古島ごっこ


March 31st/2021

春休み初日9時30分,幡ヶ谷6号通り商店街から今日のチャリ活がスタート。


奥の信号で交差する道は地元で水道道路と呼ばれている。新玉川上水の跡である。川にかかる橋を淀橋浄水場から1号,2号と数えてここは6号橋。笹塚の商店街が10号通りになる。



知る人ぞ知る老舗の和菓子店。ちょうどシャッターを開けた店主に

「おはようございます。」

と,声をかけると,開店作業は後回しにして快く招じいれてくれた。今日の必須アイテムとなる桜餅二つを購う。


幡ヶ谷→銀座→皇居一周→幡ヶ谷 22.1km

毎日、車で通勤している道だ。本当はこの春休みは自転車をオーリスに積んで遠出する予定だったが断念した。緊急事態宣言は解除されたが検査もワクチンもいつのことやらわからない。ボクたち夫婦が感染者していないという保証もない。自粛は仕方ないところだが,せめて自転車散歩はお許し願おう。ボクは脊柱管狭窄症で5分も歩くことができない。ジムも休会している。今のところ自転車以外に運動するすべがない。


文化服装学院の桜もすっかり終わった。今春の花は早い。



甲州街道の車道は新宿御苑の下を通るが自転車は通行できない。二度クランクして新宿通りの大木戸跡で最初の休憩を取った。トンネルかできる以前はこちらが本道で渋滞のメッカだった。

クランクには訳がある。


大木戸を出て西に進むと八王子経由笹子峠を越える甲州街道、北西に行けば青梅街道から秩父方面または大菩薩峠を越えて甲府にアクセスする。新宿三丁目には追分という地名が残る。クランクはその分かれ道の名残りである。


大木戸を過ぎるとご府内、つまり江戸市中となる。ボクの住む代々幡村や渋谷村は江戸府内ではなかった。我が家付近はうっそうたる竹林,大山町は狼谷と恐れられた谷だった。



四谷見附橋は外堀に架かる橋。

見附とは要するに升形のことで城の入り口にあたり、麹町や永田町は江戸城内になる。このように城下町ごと堀や石垣で囲うシステムを総構えと呼ぶ。

考案したのは後北条氏で豊臣軍の襲来に備えて小田原城の防御を固くした。小田原攻めの先鋒として総構えの威力を実感した徳川家康が江戸、名古屋、大阪の築城の雛型にした。

現存するほとんどの城は小田原古城がモデルと言うことになる。 江戸城の堀や石垣は外様大名の所謂大名普請によって造営された。四谷見附付近は松代藩真田伊豆守が担当したので真田壕と名付けられている。



寄り道ばかりで時間がかかった。



ようやく半蔵門に到着。



半蔵門は吹上御所から近いので実は貴人の出入りが最も多い。警備はいつも簡素で目立たぬようにさっとおでかけになる。その方が安全なのだろう。



をい!オレの画角に入ってくるな。


3月なのに初夏のような陽気になった。ソメイヨシノは終わり、皇居の堀は菜の花とハマダイコンの季節を迎えている。ユリノキの新緑も萌えだした。


「あたしカモに会って来るね」

と、ドレミ。



毎日通勤の車でここを通りかかる。助手席の彼女には堀の水面がよく見えるので、年の瀬になると,今日来たか、明日は来るかと渡りを待ち、冬の間はいつも声をかけている。

もっとも走行する車の中で話しかけているのだから実際の声は届いていない。鳥にも犬と同じようにテレパシーの能力があるのだろう。

春になれば北帰行に別れを惜しむ。その様子をみると確かにカモとドレミは会話していると思われる。


「まだ当分帰らないって。」

そうか、よかったな。左奥の建物に巣食う人たちの大半には鳥の声どころか人の声も届かない。


柳の樹間に桜田門が見えてきた。欧米からの観光客にこの風情はとても人気があるようだ。立ち止まって写真を撮る人をよく見かけた。よくも悪くも去年からは外国人観光客はピタリといない。


「桜田門外ノ変」については去年のチャリダッシュを参照されたし。 桜田門


枡形の内門をくぐると丸の内、つまり城内である。今は馬場先門から二重橋にかけて広大な皇居前広場になっている。



二重橋濠にドレミの知り合いが泳いでいる。



岸の石垣にへばりついていたが、ドレミが声をかけると大儀そうに泳ぎ出した。

「何それ!しゃんとしなさい!」



やはりカモだけでなく白鳥にもドレミの言葉は通じている。


皇居前広場の八重桜並木に着いた。昨日、通勤のときに満開を確認してあった。10日ほども早い。

タローと何度花見に来ただろう。 皇居一周花散歩


もちろん今日も連れてきた。

「タロー、ほら満開よ。キレイでしょう。」

タローは花には興味がない。ただママの心を読み,瓶の中でざわざわと浮かれている。



出発のときに買った桜餅と羊羹に反応しているのかもしれない。



あそこでタローと遊んだね。芝生に座ってアイス食べたね。



ここ走ったよ。


思い出も花の下。


丸の内から銀座へ向かう。途中で国際フォーラムに立ち寄る。


都庁がここにあったのはいつ頃までだったか。高校生のときに何かの用で有楽町の駅から来た記憶がある。


確か当時,太田道灌公は正面の植え込みにいらした。東京の象徴だったのだ。今は屋内で閑居を囲っておられる。



銀座に来た目的はここである。



沖縄県のアンテナショップ「わした」

「わした」は琉球のことばで「わたしたち」を意味する。ボクたちが探すのは琉球ではなく宮古の物産である。今夜は宮古島ごっこをする。



ここに来れば海ブドウもジーマーミ―豆腐も手に入る。



サーターアンダギーはドレミが担当なので粉選びに余念がない。


大手門の枝垂れ桜にはまだ早かった。


気象庁前



平川濠



代官町通り。

千代田城の北側は結構な勾配の坂道になっている。西側も桜田門から三宅坂にかけて上り坂で半蔵門付近がいちばん標高が高い。江戸城は太田道灌が武蔵野砂礫層台地東端の地形を利用して海岸沿いに築城したことがよくわかる。車で通過していては感じられない。坂を意識するのは自転車ならではの楽しみである。



千鳥ヶ淵まで登って来た。


半蔵濠が最も美しい季節を迎えている。

千鳥ヶ淵公園の池のおもては花筏で埋まっていた。


ウーバーの人は走りながらも半分はスマホの地図を見ている。のろのろ遅い上に,急に減速したり加速したりするのでとても危ない。



帰り道の大木戸付近で中山道方面との追分道標も見つけた。もっともこれは東に行く人たちのための道しるべだろう。



昼過ぎの予定が帰宅したのは2時になってしまった。6連休の初日である。時間にも心にも余裕が「ありまくり」なのである。


さて,宮古島の料理を作って食べる宮古島ごっこがドレミの揚げるサーターアンダギーで始まった。

何の脈絡もないのに,数年前から春の皇居散歩と宮古島ごっこがなぜかセットになっている。


宮古島には「太郎」と言う名の泡盛がある。今回は手に入らなかったので琉球の泡盛で代用した。


宮古島料理と言っても正確には「宮古島でボクが作った料理」である。

タローを連れていたボクたちは大型犬が一緒に泊まれるゲストハウスに5泊した。島の中心街からは遠く,タローを置いてレストランや居酒屋にでかけることはできなかった。だからスーパーやJAでグルクンとか青パパイヤとか初めて見る食材を買い求め,ゲストハウスの台所でドレミが下ごしらえをしてボクが調理した。明らかに内地からの旅行者であるボクたちがスーパーで島の食材などを手に取ると,たいてい地元の人が寄ってきて料理の仕方を教えてくれた。

海ブドウ

島らっきょうの天ぷら。

ゲストハウスの女将さんが料理屋に行かないボクたちに同情して作ってくれた。唯一の「ホンモノ」の味。

天才オリジナルのラフテーライス。もはや宮古料理からは遠い(笑)

「わした」に 古謝製麺の宮古そばが売っていた。スープが添付されていないのでドレミは躊躇したがボクには勝算があった。ラフテーを圧力鍋で煮たときのゆで汁をベースに鰹節をふんだんにつかった合わせ出汁を加えて塩と醤油で調味した。平良の繁華街で出せる水準に仕上がった。


島豆腐も加えたフーチャンプル天才スペシャル。宮古ごっこの夜はふける。

タローに会いたい。