OUR DAYS2017年2017/4/4


深夜の国道を佐世保から一気に移動してここは佐賀県,桃山天下一という変わった名前の道の駅である。


そう!!BB4プレリュードの故障で名護屋城跡探訪を断念したあの駐車場である。12年の時を隔てて,ただいまリベンジに見参!!!



2004年夏旅より

→「九州旅行記02/唐津無情


名護屋城跡は目と鼻の先だがここは余裕を見せて呼子まで下り,七ツ釜というまことに素な観光地を訪ねた。


家族連れに人気がありそうな整備された海の見える広場に出た。


まだ誰も来ない早朝なれば,ボクたちもいっぱし家族連れごっこ。


ベンチに腰かけ,コンビニで買って来たお弁当を開く。


ときどき,ボクたちに赤ちゃんが生まれなくて良かったのではないかと思うことがある。


夫婦揃ってこんなに甘やかしていたら,タイヘンなドラ息子になっちゃったかもしれないからだ。


でも,タロー。来世では間違えずになおみのお腹から生まれてくるんだぞ。ドラ息子でもいいからさ。


あ,ほら。


トンビだ。


七ツ釜へ行ってみよう。


ボクが海を撮りに行ったのを待っている。


玄武岩の柱状節理が波に侵食されて海食洞が形成されている。これは確かに驚く規模だ。柱状節理の模様も美しい。だがこの二人は岩には全く興味がない。

「はい,チーズ」



カシャ!!



さあ,次はパパの趣味の城跡探訪ね。


桜が満開だがソメイヨシノではない。ソメイヨシノの蕾はまだ固い。ふだんならとっくに散り終わっている頃だ。


名護屋城跡。

12年前に比べても整備が進み,入り口は美術館かリゾートホテルの趣である。隣接する原発補助金の匂いがしないでもない。


ボランティアらしきガイドが修学旅行らしき団体を率いていく。歴史に興味のなさそうな学生たちを楽しませようという気持ちは分からないでもないが,トラメを使った大音声はちと勘弁してほしい。


さあ,静かになったところでボクたちも歩こうか。


それにしても大変な規模である。ボクはまた諸将の陣所の中心に置かれた指令所兼秀吉の別邸程度のものをずっと想像していた。


名護屋城の築城は1591年8月。「唐入り」を決めた秀吉が全国の大名に普請を命じた。天守には金箔の瓦が載せられたらしい。


そして名立たる戦国大名が秀吉の許に馳せ参じ,渡海20万5570人余,名護屋在陣10万2415人,総勢30万7985人という日本史上に比類なき大軍団が布陣した。


なんとか官兵衛さんが失脚したのも,三成が文官としての才能を発揮したのも,家康が瓜売りに仮装して秀吉の歓心を買ったのも…小説やドラマで有名なここ名護屋の逸話は枚挙に暇ない。


まさか秀吉の寝首を掻こうとする者がいたとは到底思えない。もはや揺るぎない秀吉軍のその中心になぜこれほどの規模の城が必要だったのか。

対馬海峡を臨む本丸跡。この海を明の反撃軍が本気で渡ってくることも考えにくい。


文禄・慶長の役の真の目的は明らかにされていないが,この場所に立つと秀吉は本当に居城を大阪から移すつもりだったのではないかと思えるのだがいかがだろう。


名護屋を中心に明から朝鮮,琉球そして日本を統一し,迎え撃つはスペインの無敵艦隊だったと言えば,トラメのガイドよりいい加減な放言となろうか(笑)


もう一つ,12年越しで楽しみにしていたのは各陣所巡りである。ほとんどの戦国武将の陣跡が名護屋城のまわりにひしめいている。最近はゲームの影響かちょっとした戦国武将ブームである。うまく観光資源として整備すれば若い歴男歴女を呼び込めそうなものだが現状は観光地とはほど遠い。探訪は私有地にお邪魔して回るという肩身の狭さだ。


ずんだ餅の伊達政宗公陣跡はバス停のために僅かに広げられた路肩スペースから藪の中に分け入る。

キャンキャンキャンキャンキャン!!



ぬおー!!石碑らしきもの発見!

キャンキャンキャンキャンキャン!!



何か石垣みたいなのもあった。

カシャ!!…撤収

キャンキャンキャンキャンキャン!!



キャンキャンキャンキャンキャン!!

…わかったわかった。今,出て行くよ。


家康陣跡の入り口は「危険!立ち入り禁止」の看板とロープが巡らされた保育園の庭の中。


また藪こきかと思いながら突入路を探していると,何のことはない反対側に整備された上り口があり,上はキレイに整備されていた。

(いちばん奥の崖下が保育園)



家康陣跡の一部をちょいと削って保育園ができている印象だ。ウチの近くの公園も桜の古木をすっぱり伐って保育園が建ったが,都心のこととて仕方ないと誰もが思う。が,私有地とはいえ,これだけ田舎のしかも400年前の史跡を削るのに多少検討の余地はなかったか。

見物を終えて車に戻ると,休日で人気のない園の前にはいつの間にかドイツ製高級車が2台停まっていた。そのうちの一台が巨体を狭い路地につっこみ,そろそろと下ってゆく。あの後ろに付いて行ったらいつ国道に出られるかわかったものではないので,グーグルマップのナビに案内させて高級乗用車の行った方角とは反対に車を出した。海辺の集落へ繋がる道である。

「行けるのかしら…」

まあ,ナビが案内してるんだから大丈夫だよ。

大丈夫ではなかった。


「このまま真っすぐに進む。ろくじゅメートル先右方向です。」

ムリだろ(;^_^A

グーグルナビは敬体と常体が不自然に混在する。


メルセデスどころかブレイドでも両側10cm,ミラーをたたんで進んだ。

どうだ!!うー!ぎりぎり…抜けたー!!

涼しい声で何事もなかったかのようにグーグルナビが言う。

「右方向,そのあと道なりに進む。」

お前,間違ってもここで軽以外の車を案内すんなよ!


真田昌幸公陣所跡はさすが去年の時の人。入り口から大きな看板が出ている。


曲がり角にも分かりやすい矢印。行く手には鯉のぼりの支柱を利用した手作り感満載の六文銭旗が上がっている。


問題は駐車場がないことだ。タローがばてているので,木陰になっている路肩の崖にタイヤいっぱいまで寄せて停めた車中に留守番させた。

竹藪にもきれいに道がつけられている。大河ドラマで予算がついたことは確実である。

真田昌幸陣所跡


なぜか真田幸村供養墓



完全な当時の史跡もある。

矢立の跡が残る岩,そして周辺には石垣の跡。築城の天才真田昌幸,何か大きな仕掛けをたくさん設けていただろうと思えてくる。


九鬼嘉隆陣跡は真ん中をすこーんと割って新しい道路が通っている。それだけにアクセスし易いという見方もある。

海軍大名らしく陣所からは海がよく見渡せる。

九鬼嘉隆を鳥羽に訪ねた「城帖.」はこちら→07/鳥羽城


矢印を見れば誰でも上杉景勝陣跡は正面の竹藪の中だと思われるだろう。

…さて(笑)

古い石碑があるらしいのだが,なおタロ組とボクの二手に分かれて捜索しても見つからない。



奥に入りすぎたボク組はとうとう道を失った。四方鬱蒼たる枯れ竹藪の中,大きな竹にタオルを巻いて目印にし,90度ごとに進んでは戻る作戦を立てたが,枯れ竹の密度は高く,歩いても折れずに戻ったり,木っ端微塵に壊れて散ったりして道がつかない。

結局タオルの竹も見失った。石碑はあきらめ,脱出のためにとにかく低い方へ進んで行くととんでもない方向の道に転がり出た。

畑仕事をしている人がいたので聞いてみると数人が集まってきてくれたが誰も知らない。上杉景勝をそもそも知らない。途方に暮れていると花の咲き乱れている丘に出た。

キレイだなあ。ボクたちの景勝陣跡はここにしようよ。

そもそも陣跡にあるのは後で立てられた石碑であって遺構ではない。花の中を散歩するため,丘の下に車を回すとそこには真新しい景勝,兼続陣跡の標が建っていた。竹藪も景勝を知らない農夫の畑も花の丘もみんな景勝陣跡なのである。これは家康陣をしのぐ規模だろう。さもありなん。謙信の率いた戦国最強越後軍の直系である。


直江兼続陣跡は隣。この時期,秀吉の信頼を得ることあるいは主を超えていたかもしれない。

↓上杉主従ゆかりの「城帖.」はこちら

016/米沢城


もう昼を大きく過ぎている。なおみもタローも楽しそうについてはくるが,如何せん興味のない二人には不憫である。そもそも真田陣以外,ほとんど遺構がない。


予定を繰り上げ,最後にしようと尋ねた清正公はそれこそまったくなにもなかった。ここから渡海して虎退治伝説を残した名将加藤清正陣跡…今は廃棄物処理業者の敷地で粗大ごみの山である。


歴史探訪はこれにておしまい。次はなおみがお待ちかね,呼子と言ったらアレである。


店から順番待ちの番号が放送された。

日差しが強く,車内に残留できないので,駐車場の隅の日陰にタローをつなぐ。



案内された席の脇には巨大な生け簀。



じゃーん!!

 



その場で活造り。刺身を食べたあとゲソを唐揚げにしてくれる呼子の浜の名物料理。



名物とは言え,ボリュームを考えて,もう一人前はただのお刺身定食にしてシェアするあたりが賢くなったというか若くないというか。



透き通っている。



満足♪


寝ている。

ちょっと前までなら,きゅんきゅんと呼び鳴きし,こんな留守番はできなかった。



あ,ママ



まだ寝ぼけている。

甘えているこの子の寿命がまもなく甘えられているボクたちより先に尽きることがどうしても解せない。


日も傾き始めた。志賀島に向かっている。以前訪ねたのは2000年,中国道でバスジャック事件の渋滞に巻き込まれたのでよく覚えている。金印の発掘現場が公園になっていた。金印がそこに展示されているわけではないが,若き日の楽しい思い出をもう一度訪ねてみたいと思っていた。

…思っていたところがなんと工事中立ち入り禁止。あちゃー,調べて来ればよかったよ。


そしてここは蒙古塚。なおみががぜん興味を持って,やたら林立する看板を読み始めた。こうなると全部読破するまで動かない。誇るべきは侵略軍の供養を手篤くしている心,時代錯誤に軍備を競う現代の情勢に鑑み思う。



記憶の中では,海ノ中道や志賀島から臨んだ博多の市街がもっと近くて写真になると思っていたが,実際はけっこう遠かった。

他に心当たりの撮影スポットと言えば,もう一箇所あるにはある。島の中央の展望台だ。


だが…。

「いいよ。昼はゼイタクにイカ食べたし,夜は博多うどんにしましょう。」

繁華な場所でのお買い物やオシャレなカフェを好む妻は今回も「九州観光マップ」のような本を購入し,行きたいお店のページにざくざくとハリネズミのようにポストイットがなされている。今回,その中で実際に行ったのは佐世保の「Hikari」だけである。今,海の向こうの博多に戻れば付箋の何枚かはこなすことができるはずだ。


すまん…。


もう二度とは来られないという感傷に負けた。
汐見公園からの展望は記憶と違(たが)わない。…が如何せん霞んで博多の町並みがよくわからない。


夕日を待つしかないな。

「あたし,車の中掃除して,タローと後から来るね。」



掃除を終えたなおみが風避けの分厚いコートと文庫本を持って上がって来た。 ときどき展望に現れていた地元の車もパタリと絶えた。



夕日は何とも柔らかくぼんやりと海も雲も染めることなく沈んだ。


夜景も遠すぎる。

「ねえ,ここに米の山展望台がいいって書いてあるわよ。」

なおみがハリネズミガイドブックを開きながら言う。言わずと知れた福岡のナンバーワン夜景スポットである。

い,いかんぞシュウ。明日は東京へ帰る,今夜は最後の晩ではないか。ここはせめて市内に戻り,コジャレたレストランで妻を労うのが人の道だぞ。人の道を外してはならん。

「行ってみようよ。博多うどんなんて市内じゃなくても博多なら食べられるよ。」

悪魔のささやきと良心の戦い

葛藤

そして…

米の山展望台

人の道は外してしまったが,なおみはさすがにこの美しさに感動してくれた。

頂上にいる車は数台だが入れ替わり立ち替わり若者の車がやってくる。そしてピカピカのカスタム軽自動車から降りた小僧たちは,宝石をちりばめたような光を見てトランス状態に堕ちた彼女をまた助手席に押し込んではいそいそと去っていく。

小僧たちのテクニックには驚く。ここまでの道は狭くて真っ暗なつづら折りが20分ほども続く。4倍近い排気量で飛ばして来たブレイドが一度も前の車に追いつくことがなかった。 小僧たちの軽自動車はそれに近い速度で走っていることになる。

「さあ,博多うどん食べに行こう!!もう,お腹ペコペコ!!」

些か年増の彼女に促されて,老眼の走り屋も小僧たちに負けじと下りのワインディングロードに挑む。

「博多うどん,おいしいかな。」

なおみはこの辺りを漠然と博多と捉えているようだが,博多は対岸の町の灯だ。米の山は福岡市ですらない。

ボクやなおみはつい10年ほど前までもんじゃ焼きを食べたことがなかった。もんじゃ焼きは浅草や月島の食べ物であってボクらの育った渋谷や世田谷にはない。名古屋からの客が食べたいと言うまで存在も知らなかった。渋谷でもんじゃ焼きを食べたとて,名古屋や大阪の支店で食べるのと同じこと,東京でもんじゃ焼きを食べたことにはならないだろう。

せめて市内に戻るべきか逡巡していると,なおみが

「あれ,美味しそうじゃない?ほら,車がどんどん入っていく。」

と,うどんのチェーン店らしき大きな看板を指差した。


博多うどんじゃないぞ。

「いい。もうあたしお腹すいちゃった。」



宮崎県の延岡で地元のうどん屋に入り,その食感にいたく感動した覚えがある。このうどんの食感はまさしくあのときのものだ。次回にペンディングとなった博多うどんもおそらくこの系統だと思われる。



讃岐とも大阪とも違う,柔らかいのに芯だけがかっきりとコシを残す,ゼツミョウの打ち加減,茹で加減だ。

九州…ラーメンは固いのにうどんは柔らかい。


「あー!!」

うどんを待つ間,なおみが店の口コミなどを検索していた。

ど,どーした。

この店に来たらぜったいおでんを食べないと来たことにならないまで書いてあるらしい。


「あたし買ってくる-。」

楽しそうにおでんを選ぶ背中を見ていてボクは改めて悪いことをしたと深く反省した。今回はあまりにもボクの行きたいところばかりに行き,したいことばかりした。


高速に乗ってボクはそのことを率直になおみに謝った。彼女は何を謝られているのかピンとこない様子だった。それではボクの気持ちがすまない。


立ち寄ったパーキングに「九州最後のサービスエリア」と横断幕が張られて,深夜なのにモールに煌々と明かりがついていた。

頼む。1時間あげるからここで思う存分買い物してきてくれ。


「えー?!いいの?」

なおみは風のように飛んで行った。ボクはもう腰が悲鳴を上げていて,とてもつき合うことができない。もっとも昔から足手惑いになるので,外で待っていろと言われているから腰が悪くなくても待っているだけだろう。

「これ,どーかな。試しにシュウの分だけ買って来た。」

小さなくまモンのLEDライト付きキーホルダーだった。5月に会う予定の友だちへのお土産にどうかと言うのだ。

5個くらい買ってきてくれ。

「オッケー」

それから自分のものも何か探してくれ。


関門橋を渡り山陽道に入ったところで力尽きて寝た。



行きに味をしめたあのシャワーのあるパーキングだ。

朝,今度こそゼイタクにお湯を使おうと申し合わせていたのに,結局揃って6分残りでギブアップした。



タローは疲れ果てて,もう自分からは車を下りようとしない。



京都あたりで寄り道するくらいの時間があったのだが,真っ直ぐに帰ることにした。



タロー,またどっか冒険にいこうね。


東名富士川SAに観覧車ができていて,イルミネーションで桜を描いていた。福岡は咲き始め,東京もまだ満開になっていない。近年まれにみる年で,旅行中すっかり花見のあては外れた。

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