ウォーキング
- 2023/04/24 08:23
今朝は村で氷点下2度,しらべ荘はもっと冷えたと思われる。
引っ越して初めてウォーキングに出た。母はまだ体調がイマイチなので不参加。
手袋が欲しいほど空気が冷たい。
今日は道の状態やコースの距離を調べただけ。
父の墓参りに行った。
凍結防止のためまだ水が出ない。
Our days
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今朝は村で氷点下2度,しらべ荘はもっと冷えたと思われる。
引っ越して初めてウォーキングに出た。母はまだ体調がイマイチなので不参加。
手袋が欲しいほど空気が冷たい。
今日は道の状態やコースの距離を調べただけ。
父の墓参りに行った。
凍結防止のためまだ水が出ない。
4月20日
8:00am茅野駅前のレンタカーを出発
11:30am事故渋滞に遭って渋谷着は30分遅れとなった。作業時間が2時間半ほどしか取れない。
食器棚と巨大本箱×2を二人だけで運び出し,積み終えたところ。
処分するものを中心に半分ほどの荷物を積み終える。
帰りはそっと80km/h走行。
ツバメと話している。
食器棚と本箱の設置は二人では不可能と判断してイリタマゴのリーダーに応援要請する。
夕方に駆けつけ,夕食後には藤沢に帰って行ったリーダー。
4月21日
リサイクルセンターに不用品を持ち込む。
再び東京へ。前日より1時間半遅れのため,よりタイトな一日となる。
東京滞在は2時間弱。
休憩なしでオーリスの冬タイヤや切り倒した庭木などのオオモノと前日積み残した段ボールを積み込む。
大急ぎで出来るだけの掃除をしてまた諏訪に向かう。
中央道の相模湖から笹子峠まで,藤が驚くほどたくさん咲いている。
山々は新緑の黄緑と藤紫で輝くようだ。
ぎりぎり4時にしらべ荘着。猛然と積み降ろし。
「お母さんをトラックに乗せてあげたい」
…となおみが言う。
茅野のレンタカーまで高い座席に興奮してごきげんな母。
だが,夕方6時から7時半頃まで茅野周辺の渋滞は激しい。学習した。
諏訪の綿半に寄り,スーパーのデリで夕飯を買った。
夕焼けが美しい。
窓辺にPCを設置しました。
庭では満開の桜の下でキジのケンちゃんが「ケーン♪ケーン♪」と鳴いています。
優雅に見えますが部屋はこの状態。
他に家中に100個以上の段ボールを積んだままです。
なおみが猛然と片付け&掃除したところから,徐々に生活可能になっています。
4月19日が引っ越しの日になる。
2月に教室を閉めたのでボクらが3月中にも引っ越すと思っていらした方が多かった。
なぜこんなに間が開いたのか。それはちゃらTが4月16日に会ってお別れしたいと言ったからだ。
16日の後のゴミ収集日を引っ越し日に決めた。ちゃらTはボクらにとってそういう存在である。
昨年赤ちゃんが生まれて「パパでちゅよぉ~」のパパTに改名したが,ここでは紛らわしいのでちゃらTという旧名をそのまま使うことにする。
16日の夕方,雨上がりの遊歩道をボクらは歩いた。ちゃらTが予約したレストランが遠い。
ボクの腰に配慮して幡ヶ谷の近くを選んだつもりだろうが,かえって徒歩の距離は長い。
1.2kmは脊柱管狭窄症患者にはかなり苦しい距離である。
二度目の休憩。背に負うはクッションである。
HPで確認すると,アーリーアメリカンを模したオシャレな店だが,木の丸椅子は腰痛の高齢者には厳しい。
ブルーマジックを持参することにした。
ボクの通っていた中学校の先。
代々木は岸田劉生の油彩画の写生現場としても知られる坂の町である。
ついになおみもダウンして郵便局でチラシを見るふりをしながら腰を曲げて休む。
到着。ちゃらTにごちそうになるのは今日が三度目である。
一度目は三軒茶屋,二度目は目黒のそれぞれ古い倉庫か屋根裏かと見まがうような狭い狭い店で得体の知れないまずい料理を食べた。
それに比べると今日の店は格段に当たった。天井も高く広々としていて,場所柄セレブな客も多い。
ソファーのある予約席に通されてクッションの必要もなかった。
「道に迷いまして」と言い訳しながら,遅刻したちゃらT登場。
これも味のうちである。
味と言えば料理はどれも特急においしい。これにはびっくり。三度目の正直の大手柄である。
単純なちゃらTの鼻がみるみる高くなる。
メニューにあったコロナを頼んだ。
ちゃらTが教室にアルバイトに来ることが決まったとき,歓迎会と称してフラーデーズに連れて行った。
そこで「コロナの飲み方を教わりました。」と言う。
ボクらは知らなかったがお酒が初心者だったちゃらTはそのときトイレで吐くほど飲まされたらしい。
…長い長い思い出に花を咲かせながらコロナのボトルで乾杯する。
ちゃらTはそれをとても感慨深そうにしていた。
中学生だったときのこと,高校部のときのこと,バイトのとき,一人で送り込まれたニューヨーク旅行…
ボクらの続けてきた仕事が人を育てることだとすれば,彼はボクたちの最高傑作である。
☆彡☆彡☆彡
東京での全ての用は終わった。
なおみが2週間も前からコツコツと作っていた引っ越し荷物。
その段ボール箱の波がとうとうイーゼルを押し退けてPCに迫ってきた。
ボクも荷造りに入らなければならない。
さらば東京!
…とかっこよく決めたいところだが,会社の整理の関係で住民票はまだしばらく渋谷だし,家のメンテナンスにも再々来る必要がある。
4月15日
タローを喪ったとき,ひときわ明るい色の花が送られてきた。多摩センター時代の教え子A奈からである。彼女らしい色合いにボクたちは泣きながら癒された。花といっしょに「虹の橋」の絵本もくれた。それから毎年命日には大きな花かごを送ってくる。3年目にボクらから「今年でお終まいにして」と頼むと4年目からは手紙やメッセージが届くようになった。
彼女は中学生のときからアイドルのように可愛らしかった。声はアニメ声だった。教室を江東区に移転開校したときは,チラシ配りに駆けつけてくれた。暫くして教室で事務のアルバイトをするようになった。大学をはさんで江東区から多摩センターまでの通勤時間は2時間近かった。そのバイト料をすべてつぎ込んで教室の英会話クラスのニューヨーク旅行に参加した。
結婚式にもボクたちを招待してくれた。花嫁はおとぎの国のお姫様のように美しかった。ボクは乾杯の音頭という生涯一度の大役を任された。
赤ちゃんが生まれたときにはまた2時間かけて教室まで報告に来てくれた。
「八ヶ岳に行く前に」と,調布でA奈とお昼を一緒にした。
「先生たちちっとも変っていない。」
そう言うA奈こそおとぎの国のお姫様のままだった。
薄々は感じていたが,彼女の結婚生活が不調に終わったことを初めて聞いた。なぜこんな子に試練を受けさせる必要があるのだ。たぶん彼女は美の女神の嫉妬を買った。A奈がタローを喪ったボクたちを慮って花や手紙を送ってくれていた日々は彼女自身にとっても辛い日々だったことを思うと鼻の奥がつんとなった。でもそういうのはA奈のキャラに合わないので,ボクらは笑顔のまま,山での再会を誓って別れた。彼女の息子は今年中学校に入ったそうだ。ボクたちはいつか彼の役に立てるような人間であり続けようと思う。
4月14日
師匠は何週間も前から皿を素焼きして準備してくれる。
前日には使いそうな絵具を全部お湯で緩めておいてくれた。
筆もパレットも台もセッティングし,バイオリン協奏曲のCDをかけて,広い工房を明け渡してくれる。
だからボクはどうしても結果を出したい。
これがこのままの色合いで焼きあがるとは限らない。そこが絵付けの難しいところで面白いところでもある。
作業が終わってから近くの量販店でプリンターを買ってきてセッティングした。
師匠のPCは家のネットワーク上にはなく,専用の回線を直結しているから,プリンターもUSBで接続する必要がある。
暮れに買ったデジカメはまだ画像をPCに取り込む作業ができないでいる。
プリンターやデジカメの使い方を丁寧に説明するがマウスのタッチが思い通りにできなくなっている。それが精神的にも辛そうだ。
ワードやエクセルのバージョンは10年以上前のもの,フォトショップは15年を超えているが新しいインターフェースに対応できないので変えられない。
師匠はとても不安そうだった。ボクが東京を去って,もっとも困るのはたぶん師匠だ。
師匠がブログを続ける限り,たぶんボクは定期的に東京に来なくてはならない。
帰り際,部屋のゴミ箱にゴルフのアイアンが1本差さっているのを見つけた。
「師匠,これ何するんですか。」
「泥棒が来たらこれで戦うんだよ。1階で食い止めて,家内のいるところには行かせない。」
今の師匠のデジタル的不自由はそのまま20年後のボクの姿である。ボクも今のうちにボクを見つけておかなければならない。
4月13日
編集部から初校というファイルが送られてきて,面談打ち合わせの日程が決まった。
初校…初?
…あ,これからなんですね(;^_^A
自転車はもうしらべ荘に置いて来たので,なおみに送ってもらって帰りはひとりで電車という大冒険。
編集長と担当者お二方が同席の会議,作者のしのざきさんはZOOMで参加されていた。
絵の修正箇所はたいした数ではなかったが,文は,毎回編集長の気分が変わるのでたいへんそうだった。
続いて「表1,表4,見返し1,2,見返し3,4,扉」の打ち合わせに入ります。
え?
つまり表紙,裏表紙,その裏側,中の扉の絵など。
なるほど,言われてみれば当たり前だが,まだ7枚も絵を描く必要があるのだ。
今度は家の引っ越しと締め切りがもろにかぶる(;^_^A
絵本をひとつ作るというのはたいへんなことである。
会議は11時から13時までまったく休みなく続いて終わった。
JR中央線で新宿まで来るとさすがに腹ペコになってしまったので,地下街を根性で歩きイマサのカレーを食べた。
物心ついた頃からの老舗。食べ治めかもしれない。