母,三度目の家出をする
- 2024/02/04 09:53
2月1日分
老人性鬱病というのがあるらしい。どうも母の無気力はそれに症状が近い。先日体調を崩したのもいただいた年賀状を見ていて寒中見舞いを書かなければと思い立ったのがきっかけだった。頼まれたボクは賀状をチェックして枚数を確認し,すぐに寒中見舞いをプリントして渡した。
「はい,手数料はサービス,用紙とインクで500円ももらっておこうか。」
この辺までは全く今までと同じノリだった。手間のかからないよう文面も2種類の挨拶を印刷してあって,表にも住所氏名を入れてある。母はひと言書き加えて宛名を書くだけだった。どうやら結局これが今の母には負担だったようだ。作業を始めた途端,鬱の症状に陥った。自分で言い出したのに,いざとなると賀状仕舞いを伝えるハガキを書くのがプレッシャーだったのか或いは単に作業そのものが辛かったのかわからない。このへんも母がウルトラ筆まめだったことをよく知るボクにとって俄かには理解できない。
体調をみるみる崩した母は中央病院の救急を受診し,CTや採血などできる限りの検査をしてもらったが体はまったく健康だった。原因と思われる寒中見舞いは目につかないところに隠した。しかし母はそのまま寝込んで,食事も日に一度おかゆを食べるだけの状態になった。4日目の朝に,このままではまずいと思ったボクは,母を励まして床を上げ,普通の朝食を食べさせてみた。全部食べた。顔色もよい。そこでさらに風呂を沸かした。
「もう3日も風呂にはいってないから臭うぞ!ゆっくりと身体も髪も洗ってくれ。」
はい。これが次なる原因となった。体調は完全に回復したが,どうやら「臭う」に過剰反応したらしい。LINEの嵐である。「シュウに汚いと言われた。」「きらわれた。」「口が臭いといわれた。」…ひどい濡れ衣だ。まあ,受け手の方もその辺はだいたい察してくれていると思われる。とりあえず,弟や友だちの間で暫く東京で預かるという話がまとまり,なおみに連絡が来た。
このような経緯で母の三度目の家出が決まった。その準備をするのもすべてなおみである。母の気分のいいときを見計らって,着替えを準備させ,重たい荷物は宅配便の箱に詰める。読みかけの本,スマホの充電器,補聴器の電池などを確かめる。さらにタイヘンなのは母自身がもう東京行そのものを忘れてしまっていることである。なぜ東京に行くのかも分からない。荷物を作るたびになおみが丁寧に「東京の人たちがお母さんに会いたいと計画してくれている。」と繰り返し説得する。
おそらくこれは日本中の家庭でありふれたことなのだろう。医者に言わせれば「この程度は認知症とは言わない」そうである。だが実態は同居する家族にしか分からない。
当日の朝が来た。霧が深い。なおみは早くに出勤したので,バス停に送るのはボクの役目である。
「なんで東京に行かなくちゃいけないの?」
オフクロが決めたことだ…とは言わない。みんなが会いたがっているといういつもの説明を繰り返す。
どうやらご機嫌でバスに乗った。おそらく東京に着く頃にはまた理由を忘れているだろう。みな,この状態に慣れていく必要がある。母との生活はまったく予想外のものとなった。「花を植える」「出かける」「買い物する」という母に振り回されて暮らす,まあそれも仕方ないかというだいたいの想像をしていた。ところがまさかの無気力状態。振り回されるよりタイヘンである。
権現岳
とりあえず弟たちのおかげでボクは一週間ほど母から解放される。
阿弥陀岳
夕方,諏訪響の練習に出かけるなおみといっしょに農場まで下りた。夕焼け狙いである。
いつものノスリ…レンズは持って下りなかったので,200mmのまま。8歩近づいたところで逃げられた。鳥撮り写真家の道は遠い。
甲斐駒から西に三ツ頭や鋸岳,編笠山が屏風のように連なる。それが釜無山で切れて,手前の入笠との間にすっぽりと谷が開けている。地図で調べると,どうやら冨士見から釜無川源流の作る谷が原村からはまっすぐ南に南アルプスを突き抜けている。以前から気になっていた遠く光る雪山は仙丈ケ岳なのである。これまで原村から南アルプスの西側の山が見えるとは思っていなかったのでこれは大きな発見であった。