夜の雪掻き
- 2024/03/12 21:00
」
さすがに雪はもういいかなぁって感じです(笑)
なおみの退勤風景。諏訪より塩尻の方が積雪が多い。上雪(かみゆき)と呼ぶらしい。
明日のなおみの出勤が心配なので夜中に二人で雪掻き(;^_^A
Our days
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」
さすがに雪はもういいかなぁって感じです(笑)
なおみの退勤風景。諏訪より塩尻の方が積雪が多い。上雪(かみゆき)と呼ぶらしい。
明日のなおみの出勤が心配なので夜中に二人で雪掻き(;^_^A
3月9日分
長靴で来ればよかった。
FDA3号機 JA03FJ
FDA3号機 JA03FJ
FDA4号機 JA04FJ
FDA4号機 JA04FJ
「今日が最後だからほら,洗ってもらってるんだね。」
観衆の小さな男の子の声に教わった。折しも今日はグリーンの4号機(JA04FJ)の退役日だそうで,道理で観客が多いわけだよ。駐車場には庄内,鈴鹿,静岡なんてナンバーも来ていた。丘に居並ぶ空男空美の中で知らずに来たのはたぶんボクだけ(笑)
10時45分の出発便を撮ってから空港を出ると隣りのサッカー場も賑やかだった。 サンプロアルウィンで松本山雅のホーム開幕戦だった。滅多にここにこんな多くの人が集まることはないだろう。
なぜいきなりヒコーキ撮影かと言うと他でもない,なおみが疲れ気味だったからだ。せめて土曜の部活くらいは送迎しようと思い立った。
今井の道の駅でりんごジャムとケチャップを買ってから迎えに行くとちょうどいい時間だった。
山麓亭でそばを食べて帰った。なおみはぐぅぐぅと寝ていた。
3月8日分
またウォーキングのときに長靴が必要となった。
雪国だ。
甲斐駒が見えるところまで下りて見よう。
ザ!冬(笑)
右はボクが下りたときの長靴の跡。何か登って行った足跡あり。行きには確かになかった。
オリヅルランの道の倒木も雪に埋もれている。
ピーカンに晴れた日曜日。
93才母とボクは「JAに買い物に行く」と言って出かけ,
村でいちばんおいしいケーキ屋さんに行って注文しておいたバースデーケーキを購入。
首尾よくサプライズに成功して母はご満悦です。
もちろんなおみには予めこっそり伝えてお店の電話番号を教えてもらってあったのですけど(笑)裏方はなかなか疲れる。
義母からもブラウニーやワッフルなどどっさりと贈り物が届いた。
希望により昼は天才ミートソース。
夜は天才マカロニグラタン。
なおみは食べに出かけたりするほどの時間もなく,朝から晩まで仕事とバイオリンの練習に追われていた。
唯一の外出は庭で薪割り。忙しい誕生日でもおめでとう。
積もったー。
覚悟していたなおみは強行出勤
こなた雪掻きがある。
水上さんとか自分ちより先にパンさんの駐車場を除雪してる。あまり戦力にはならないが腰痛ベルトを締め,角スコを担いで参加する。
我が家の駐車場ビフォア
アフター
Twitterのフォロワーに水彩画を買っていただいた。
なかなかの出来栄え。額装に使うテープはドイツ製の特別な紙テープである。
水彩らしい端っこをちらりと覗かせるのも額装のテクニック。
庭の福寿草が雪を割っていた。
一人でウォーキングを再開した。腰と右足が痺れて辛いが健康のためには必須のようだ。
日曜日はなおみが休みなので,朝は歩かなかった。夕方頃,パンを買いに直売所に下りるとき,先に家を出てウォーキングした。
パン屋の前でなおみが待っていた。二人で車に乗って家に戻った。これが唯一,日曜日のおでかけだった。
2月26日分
たぶんボクたちは一生でいちばん美しい光景の中にいる。
木々の枝が全て氷に被われてピカピカ光りガラスの国のようだ。
ボクの撮影技術ではどうしても再現できない。
ご想像ください。
折しもなおみが転勤のタイミングでちょうど休みの2日間
ボクらはこの景色を堪能した。
25日分
「チェロはやめる事件」を経て半年ぶりのレッスン。
それにしてもアイ先生はチェロを指導するために生まれてきたような天才である。準備して行った楽譜はたちまち書き込みで真っ黒になった。
同じ時間,なおみは上野のHatoyaという洋品店に行った。先日「72時間」に登場した激安婦人服店だ。
家を片付け3時頃に帰路に就いた。大雪の予報で中央道の下りは須玉から諏訪まで,上りは諏訪から小淵沢まで通行止めになった。
想定内である。FFとは言え,手の切れるようなブリザックを装着したミズイロ☆ライフは快調に七里岩ラインを北上した。
途中,なおみの通勤路で気になっていたという食堂で夕飯を食べる余裕あり。
歴史の長い店にはそれなりの理由があるなあと大雪を楽しむムード。
ところがどっこいどっこいしょ!
SNSの情報によれば瀬沢も久保も立ち往生を引き起こした車はノーマルタイヤだったそうだ。
久保に至っては数台のノーマルタイヤ車が道をふさいでいたらしい。彼らは仮に坂を登れたとしても高速には入れないことを知らなかったのだろうか。ここまで来るともはや運転技量や整備ではなくモラルと知性の問題である。
信濃境の急坂はカウンターを当てながらアクセルを調整するというアクロバティックなドライビングになった。坂の途中でブレーキを踏めば,ボクも立ち往生を引き起こしたかもしれない。かわいいミズイロ☆ライフだが4駆に買い替える必要がありそうだ。
24日分
休日の昼過ぎに町田にアクセスするのは並大抵のことではない。都内の環7環8,中央道,東名それぞれの下りが麻痺している。渋滞情報サイトの地図を見ると,世田谷通りの下りが流れている。羽根木から梅が丘を経由して松陰神社付近の世田谷通りに抜けた。多摩川を渡るまでは順調だったが,生田あたりから渋り出し,新百合手前で完全に滞った。この辺りのことはノーチェックだった。
渋滞が進まないので「すきや」に入った。初すきやである。カレーは美味しくないが牛丼はとても香りがよくて,最近の吉野家に比べても遜色ない。
金井の伯母の家に寄り,額装した肖像画を届けた。この白黒写真をスマホで撮った画像から水彩に起こしたのだからさすがボクである(笑)実はこの油彩画の修復の際,費用は要らないと言ったのに「どうしても」と支払われたので,そのお礼に今回の肖像画を描いた。
↓
町田の家にはもう弟夫婦が二組とも先着して義母を手伝っていた。
左がボクたちの買った花束,右はゴイックさんに頼まれた花籠,どちらも無事届いていた。
今日は親戚が集まって「めぐみ伯母さんを偲ぶ会」を催した。
揮毫と写真の準備はシュウである(笑)ホントは古くて色あせた写真をすべてレタッチで修正した苦労を分かってもらいたいところだが,誰も気づかない。
義妹がワカサギの調理を頼まれて困っていたのでボクが揚もの場に入った。役割がある方が気楽である。
手羽の唐揚げはワカサギと味が被るので,冷蔵庫にあったキーウィソースをベースに天才チキンにアレンジした。
時間があったのでゆっくりと過ごせた。