名古屋で飲んだくれる
4月6日
漂泊の思ひやまずとは芭蕉翁,チェロのレッスンを終えたボクたちは春旅に出る。
スペースに荷物を詰めるだけ詰めてしらべ荘に寄る。タローのお骨やチェロ,一部の電子機器などトラックでは運びにくい荷物を運ぶためだ。
庭のコヒガンザクラの蕾は固い。季節を1か月遡って来た。
中央道を南西に進むと再び季節が進んでゆく。諏訪湖周辺はむせ返るほどのソメイヨシノに埋まり高遠まで下ると花吹雪,飯田は葉桜となっていた。
恵那山トンネルを抜け東海自動車道を南下する。美濃を旅するのは明智旅以来だろうか。タローを喪って1年余り,まだ胸が苦しいほどに痛んでいた頃のことだった。ザラザラとした胸の痛みが蘇る。明智旅のあとコロナ禍に見舞われ,自転車を積んで旅するようになった。訪ねた場所のほとんどはタローを連れて行こうと計画していた場所ばかりである。チクリと痛みの残る胸で巡るボクたちの旅は鎮魂旅でもある。
予報通り雨模様となってきたがサイクリングは旅の後半に計画しているので問題はない。名古屋に入ると土砂降りになった。
教え子を除けば,現在,ボクたちの交友関係の90%はインターネットで知り合った人たちである。30年来の親友でもきっかけはwebサイトでの出会いであった。ボクはどうもインターネット上でのお付き合いとか繋がりにほとんど意味を感じていない。webサイトやSNSは目的ではなくあくまで手段と道具である。気が合う人と知り合うとすぐにオフで会いに行く。だから北は道東の美幌から南は九州まで全国に友だちがいる。さすがに海外となると会いにいくことはできないが,ボクの場合,絵やカレンダーを買ってもらったりすると,その後,手紙のやり取りくらいはできるのが楽しい。だが相手の方々はたいていそうは思っていない。オンラインの知人と会うのはとても危険なことだと思っているし,たいていの方は「シュウさんたち以外にオフで会った人はいません。」とおっしゃる。
名古屋の知人もそんな一人である。のんべえなのでご相伴仕るためにはどうしても泊めていただくことになる。漂泊の旅の趣旨から外れるがこれもまた一興。廊下にはボクの油彩画,玄関にはノイシュバンシュタイン城の写真が飾られている。奥さんの趣味は小物作りで,素人の域を超えている。部屋にあるものはみな手作りである。
もちろん,料理も得意でオリジナルのレシピが豊富である。タケノコ尽くしも美味かったが,この新作,粉を使わないお好み焼きが絶品。ビールにワインに日本酒。いやはや過ごした過ごした。
翌朝は「名古屋らしいモーニングを食べてみたい」とリクエストして,店に連れて行ってもらった。
ロボットがモーニングを運んできた。老舗の喫茶店をイメージしていたのだが,これもまた一興。
モーニングはしっかり名古屋風である。
年代も少々違う陽気なご夫婦。不思議なご縁である。