6月30日
伊那にあるスーパーの書店が絵本を発注してくれている。編集部から挨拶に行くよう指示されている最寄り店舗のひとつだ。しらべ荘から50km,しかも間に南アルプスを挟んでいる。最寄りと言うにはビミョウである。伊那を少し南下した駒ケ根にSaiさんというTwitterの友だちがいて「ペットボトルのイルカ」を買ってくださるというDMが来た。それならばとNBをオープンにして出かけることにした。
なおみが諏訪響の練習日である。ミズイロライフと2台で諏訪まで行き,ライフを練習場に置いてNBで有賀峠を越えた。
ベルシャインは地元スーパーのチェーン店だった。交通の便がよくなるにつれて,大手の進出によってできてきた大型スーパーやショッピングモールに押され気味の雰囲気だった。市内の本店が4月に閉店していた。
約束の時間まで少しあったので,なおみはワンピースを二つ買い,イートインでお昼も食べた。発注のお礼に少しでも売り上げに協力しようというわけである。
だがこの書店はひどかった。約束の時間ちょうどに訪ねると,アポイントを取ってあった担当者は昼休みで不在だった。15分も遅れて帰って来た担当者は初老の女性だった。呼びつけられて売り場に行くと,
「お客さんを先にしてください。」
と言われた。周りを見渡しても客はいない。どうやらなおみを客と勘違いしたらしい。遅れたことに対しても勘違いしたことにも謝罪はない。ああ,そうですかと仏頂面でポップを受け取った。1時間半かけて,手描きポップを持参した作者に対する対応はこれでいいのだろうか。否,これがただの出版社の営業だとしてもイマドキの都会ならば,これほどのハラスメントで応対はしない。旧態依然とした地方の企業が淘汰されていく理由が分かったような気がする。
すっかり伊那に対する心象を悪くした。気を取り直して今度はSai氏のご自宅へ向かう。ツイートは定点から撮った木曾駒や宝剣岳の写真が9割で,あきらかにボクと同じリタイヤ組だが乗っているのはメルセデスAMGV8コンプレッサー。ここ数年でカワサキZ1やランエボを売却している。…ボクの苦手なタイプかもしれないと,少々気が重かった。
ところがどっこいどっこいしょ。ナビの到着点には想像していた豪邸ではなく,増築だらけの古家が建っていて,庭には無造作にメルセデスが置かれていた。NBの排気音に気づいて塀の蔭から「やあっ」と徳大寺有恒風のおじさんが現れた。その風貌とは正反対の人懐っこい笑みを満面に浮かべてのしのしと歩く。なおみをエスコートして庭を横切りながら,自慢したのは車ではなくメダカだった。ざっと30個ほどの水槽に種類や大きさごとに無数のメダカが飼われていた。
母屋と離れた小屋に通されて,なおみが感嘆の声を上げた。'60年代アメリカンなテイストの室内はほぼハンドメイド。そのオシャレさがなおみの趣味に合った。
ボクとは同年代である。 車やバイクの趣味はぴったりと合った。ただ,ボクにはあくまであこがれで雲の上にあったマシーンを彼は全て手に入れていた。あまりの居心地よさに,時間があればと予定していた飯田の書店挨拶は取りやめることにした。準備していたもう一枚の手描きポップは請われてSaiさんに差し上げた。
なおみがコーヒーのお代わりを要求した。どこでも長居を好まない彼女にしては珍しいことである。Saiさんが淹れてくれたのはベトナムコーヒー。コンデンスミルクを底に敷いたグラスにゆっくりと深煎りの濃いコーヒーを落としていく。いつの間にかお邪魔してから3時間が経っていた。お暇乞いに再会を約した。
残念ながら宝剣岳や駒ケ岳は雲の中だったが,諏訪までのドライブは風が心地よかった。なおみは爆音のオープンカーのバケットシートにもかかわらず峠までの大半をオチていた。