7月17日分
一晩ぐっすり寝てなおみは回復し,元気に会場へ向かっていった。
原のパーキングで母とランチ。専門店が刺身や海鮮丼を供する。母が一人で頻繁に東京を往復している頃からこの店に一度行きたいと言っていた。だが,母はそれらをすっかり忘れてしまっていた。
編笠山に夏雲が涌く。
義母の乗った高速バスが定刻通り到着した。
娘の諏訪響デビューに駆けつけた。
アメリカ中部から西海岸を二人で旅したこともあるコンビ。すっかり老いた。
その頃,なおみは練習を終えて本番前の控室。
金子三勇士というとぼけた名前のピアニストはとても人気があるそうだ。
第6駐車場まで満車になっていて,ほとんどビーナスラインに近い小学校の校庭が臨時駐車場になっていた。
市民館までは遠い。
炎天下のウォーキングはスポーツに近い。母たちを先に会場に入れ,ボクはここで待ち合わせ。
ちっぺがご主人と車で駆けつけてくれた。ピアノの先生をしているちっぺにとって,金子さんの演奏も魅力だったと思うが,連休の最終日である。帰りは渋滞でよくても東京まで6時間はかかるだろう。持つべきは友である。
なおみは東京の世界堂で色紙を買ってきた。前日の練習のとき,彼女のために金子さんにサインをいただいた。それを手渡すのがボクの役割だった。
コンサートは素晴らしかった。音楽監督も兼ねている指揮者の酒井敦さんのトークは抜群に面白い。選曲も観客がよく知っている有名な曲ばかりで,演奏する団員のノリもとてもよい。
フィンランディアの前にスラブ民族同士の争いを愁い,観客に合唱での参加を促した。そんなコンサートは初めてだった。戸惑う観客たちに歌を練習させる。それがどれほどのエネルギーを必要とするか想像がつく。演奏が始まる頃には肩で息をしていた。
謳う観衆の心は平和への祈りで一つになっていた。
金子三勇士さんも心憎いほど爽やかな青年で,演奏にもとても好感が持てた。椅子から何度も腰がジャンプするほど熱演しても,いつも心は観客の方を向いていた。
ボクがクラシックコンサートで一睡もしなかったのは初のことかもしれない。
徹夜で作ったパンフは残念ながらほとんどはけていなかった。プログラムに折り込まれたチラシが分厚すぎて,誰もが新たに置きチラシに手を出すことができなかったからだろう。せめて「ご自由にお取りください」と案内を貼っていてくれたら少しはマシだったかもしれない。
帰り道,夏色の八ヶ岳が美しい。
演奏を終えて帰るなおみととんぼ返りする義母のために,ボクが15分で調えた料理「タラのカレーパウダーポワレ,トマトとレモンのソース」
ゼッピン(笑)
義母を富士見のバス停に送る。
怒涛の週末が終わった。
なぜかリタイヤして山に引っ越したのに忙しすぎる毎日を過ごしている。