渋谷区民をする
- 2023/05/25 23:01
旅行に出た。
中央道を甲府盆地に下りていくと曇りの予報に抗って富士が姿を見せた。
双葉のSAで富士山の写真。
あまりにも素だが,飾らないふつうの家族旅行らしいとも言える。
曇天,その上母は50歩以上歩きたがらない。行き先に窮してハンドルを握りながら「御殿場アウトレット」を提案してみると,なおみが大喜びで食いついた。考えてみれば引っ越していちばんタイヘンな思いをしているのはなおみである。彼女のストレス解消は最優先されるだろう。
なおみは降って湧いたような幸運に喜びを隠せない。
「制限時間1時間半?2時間?」
三人でレストランの食事を終えると宙を飛ぶようにモールに消えて行った。
彼女の愉しいお買い物タイムを確保するためには当然こういうことになる。ところがあらゆる場所の中でボクが最も苦手なのはアウトレットである。おそらく犬もアウトレットは苦手である。だからかつては制限時間いっぱい,タローとボクは駐車場の車の中で睡眠を貪ったものである。すなわち,ボクにとっては人生初のアウトレット歩きということになる。母の指示するままに11軒もの店を巡り,ついに「23区」という聞き覚えのあるブランドショップで七分袖のサマーセーターをゲットした。
「まで!オフクロ,もうムリだ。あとは車で休憩ね。」
「わかった。」
というわけで青息吐息駐車場に向かう道で猛然と店を巡っているなおみに遭遇。
「ねえ,チョコレートとワイン,持ってってくれない?残り時間でお洋服回るから。」
お安いご用である。車に戻り,母と荷物を収納したら,頭痛薬を口に放り込んでシートに沈んだ。
しばらくしてなおみが笑顔で戻ってきた。
「ありがとう。ちょっと時間が足りなかったけど満足した。」
よしよし根性を出した甲斐あって目的は果たした。
三島から伊豆中央道を南下して天城峠に入る。ボクたちは何度も来たが,母に見せようと車高の低い車で苦労しながら旧天城トンネルまで登った。
母は珍しそうにはしたが車から降りては来なかった。何にでも興味を抱き,ポジティブだったほんの2年前までとは別人になったと言っていい。
峠を下って河津の温泉街に入った。
目的地はここである。渋谷区の保養所がある。
生まれも育ちも渋谷で数十年も区民税を払ってきたが,ついぞこの施設を利用したことがなかった。
転出するにあたり,最後に行ってみようという話になったのである。
夕食は渋谷区が一流ホテルと契約していてちょっとした温泉旅館なみの味を提供する。お銚子を頼むと220円である。
泊り客はほとんどお年を召した渋谷区民なので,何となく似た者同士,上品な雰囲気で静かに晩餐タイムは過ぎる。
母は笑顔で宿の人と会話したりしているが,心から愉しんでる風でもない。そもそも耳が遠くて言葉は聞こえていない。けっこうタイヘンである。