エギングをする
- 2023/05/27 21:58
三島の親友Cさん宅に着いた。
インターネットで知り合ってかれこれ20数年になるC氏は大型機械を設計,製造する工場を経営している。速いクルマが趣味でNA,NB(ロードスター),DC2(インテグラタイプR),F20C(S2000)のオーナーである。もうひとつの趣味がエギング。エギと呼ばれる疑似餌を使ったテクニカルで華麗な釣りで狙う獲物はずばりイカの王様アオリイカである。
通過ポイントを丁寧にナビに入力し,なおみと母を先に帰す。ボクはエギングに挑戦である。
18時40分,沼津千本浜着。西の空が美しく夕焼けている。慌てて荷物からX-S10を取り出す。
C氏は…と,顧みれば。ひたすら準備に余念がない。空の色には関心がない。好事家とはこうしたものである。しかもC氏の場合,ウルトラ潔癖症的性格が輪をかける。浜から上がって来たときを想定して,潮を浴びた手で触らないよう各種の袋の口を開け,水のタンクを下ろしやすいように並べる。
19時,浜へ出る。
「暫くは釣りになりません。」
と,C氏。向かい風が4m近くもある。波打ち際の風はまた一段と強い。エギが飛ばない。海は荒れている。それでもC氏は軽く40メートルほどは飛ばしているだろうか。ボクは思い切り振っても,目の前の波にボチャ!とエギの落ちる音がするので,あきらめて風が止むのを待つことにした。
ボクも自分でイカを上げられると思って浜に来ているわけではない。従業員の生活を抱えた工場の経営は心身ともに擦り切れるような苦労がある。C氏がいちばんの癒しの時間を駄話など共にして過ごすことが友だちのできる精一杯のことなのだ。
三日月から3日ほどの月明かりが思ったより明るい。強風に煽られて波しぶきが絶え間なく降り注ぐ。深夜の波打ち際でしぶきを浴びながら月を見上げるという機会は一般的にはあまりない。レアな体験である。
波は荒いが予報通り風が弱くなってきた。
「シュウさん,そろそろ釣りになるかもしれません。」
と,C氏が言った直後だった。
「来た!シュウさん!ギャフ取ってください。オオモノっす!!」
ギャフとはなんだろうか。
「その赤いのです。」
手渡した50cmほどの棒を彼が振ると3,4mほどにも伸びた。先に銛の先のような鉤がたくさんついている。砕ける波の間からその鉤に引っ掛けられてキラキラ光ながらアオリが上がって来た。
飲みかけのコーヒーに並ぶと大きさがよく分かる。
帰宅してから量ると1.6kgだった。
風が止んだのでそれから暫く,ボクも竿を振って過ごしたがこの夜のアタリはあの大物一杯だけだった。中天にあった月が西に傾き沈もうとしていた。
撤収。道具の片付けに30分以上はかける。あらゆる道具の潮を落とすためにボトルから蛇口付きのタンクに水を移す。その水が風呂の湯ほどに温かい。してみると,出かけるときにはほぼ熱湯だったことになる。
「冷める時間を計算してちょうどいい温度に沸かして持ってきてるっす。」
長靴の裏の溝に溜まった砂を指で掻きながら事もなげに言う。
25時に帰宅すると夫人のMちゃんがご飯を用意してくれていた。分厚いとんかつと肉巻きアスパラだった。
5月27日
明けて翌日早くからC氏はNBの洗車を始めた。
「ねえ,シュウさん。NBもらってくれない?」
Mちゃんがそう切り出したのは1年半前に遊びに来た時,長岡の温泉饅頭屋さんの駐車場でのことだった。夫婦でずいぶんと考えた末の決断だろう。なおみは一度も反対しなかったがボクはずいぶんと考えた。原村に引っ越せば駐車スペースこそあるがボクには旧車をメンテナンスするだけの技術がない。それにいくらなんでも「もらう」というわけにもいかない。会社を整理して引っ越すのに費用がかなりかかることも予想される。ぎりぎり…
「大事なクルマに申し訳ないけど今は30万円しか出せません。」
後日現金を持って訪ねた。30万円は受け取ってもらえなかったが,NBをもらうことは決まった。彼のコレクションの中でもとりわけNBは状態がよく,素人のボクでも少しずつ頑張れば維持していけるだろう。
いよいよ引っ越しも終わって,約束通りこの日がNBの受け渡し日だった。
午後,みんなに見送られてボクはNBで三島を後にした。大人しくそっと帰ろうと思っていたが,胸のすくようなエキゾースト音を聞いているうちに高速を走るのはもったいなくなって,籠坂峠,御坂峠と走って甲府に出た。中央道も使わずに20号で諏訪に上った。
こうして真っ白で全身ガチガチに固められたNBはウチの子になった。
維持には手間も費用もかかりそうだが三島からのドライブですっかりこの子の走りの虜になった。
1.6kgのアオリイカはなおみがさばいた。
ザ!イカ!
刺身に沖漬け,焼きイカ,天ぷらとその後3人で食べても3日間の晩餐となった。