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2024年06月17日の記事は以下のとおりです。

敦賀行

  • 2024/06/17 20:11

なんだかのなんだかでなおみの中学は17日(月)が休日となり、日月が連休となった。現在の勤務条件では連休はきわめて稀有なことである。ボクは母を置いてのサイクリング1泊旅行を計画した。部活の定期演奏会と諏訪響の蓼科音楽祭が間近に迫るこの時期、時間が貴重なのは重々承知、実際に土曜は部活と諏訪響のダブルで朝から夜遅くまで練習していた。休日はもちろん、毎日、遅く帰宅してから寝るまでの2時間ほども寸暇を惜しんで仕事し、練習している。これはさすがに体に悪い。頭痛と慢性的な胃腸炎状態が続いている。ちょっとでも休ませるためには物理的に切り離す必要がある。もちろん、純粋にボクが久しぶりに出かけたいという純粋な思いもあるにはある。なおみを送ったついでにぼっちで安曇野や木曽を旅してもぜんぜん楽しくない。40年近く、旅はふたりで行っていたので仕方ない。

たった2日のおでかけでも、今は菜園の手入れをし、母の二日分の食事をアレンジしてから出かけなければならない。だが東京と違って、土日の朝にゆっくり出発しても道路が渋滞していることはない。東京に住んでいるときは休日のお出かけと言ったら暗いうちに出るのが常だったからずいぶんとらくちんである。

転地効果は即出た。サービスエリアでつまらない買い物をしただけでこれだけの笑顔である。額のタテ皺も消えている。

名神高速。遠めならまだ十分モデルが務まるこの姿勢。

米原にあるごらんの場所が最初の目的地。

余呉のとある村。大谷刑部の出生地であることが有力視されているが何も残っていない。

敦賀についた。商店街に銀河鉄道のモニュメントがたくさん建っていて、初めて「フツウ」の観光客をする。

なおみのリクエストは海鮮を出す民宿ではなくビジネスホテルを取っての居酒屋。

いいかなぁ、敦賀はホントに何も残ってないんだよ。跡だけなんだよ。

「いつもそうじゃない。」

いやいつもにも増して何もないんだよ。

…とは旅行を計画する時の会話。なおみはそういう旅に慣れている。

ホテルに早く着いて、県境付近から降り出した激しい雨も止んだので、涼しい夕方に自転車を駆って市内の史跡巡りに出た。

ホントになにもないんだよ。これは一つだけ残っている敦賀城の礎石。

小学校の角にある城跡の碑…ただし、江戸時代の奉行所跡、明治の県庁跡も兼用である。

さすがに案内する方も肩身が狭くなるところだが、なおみは至って平気でいつものように案内板や看板の文字を熟読している。もしかしたら、これまでの史跡もこんなところばかりだったのかもしれないと思えてくる。

途中、遠雷が聞こえ、空が真っ黒い雲に覆われてきた。ホテルにたどり着いた途端、篠突くような土砂降りになった。ボクらはとてもついている。

いよいよ、お楽しみの居酒屋で地酒がとくとくと注がれた。花垣の純米酒

刺身の盛り合わせは「並」と「上」とあって迷ったが「並」にしてよかった。上は質も値段も量も1.5倍だと店員が言っていた。

一生に一度は食べてみたい…と、なおみが清水の舞台から飛び降りるような表情で注文したハモもまたこの量だった。

カレイのから揚げ。

へしこ焼き…何のことか忘れた。たぶん若狭名物

ととみそ…同上。これにて、もう二人とも水一滴入らない満腹状態。

部屋は一番安いエコノミーダブル。これだけのスペースがあれば十分。

朝ごはん

チェックアウトして港にある公園の無料駐車場から気温の上がらぬうちに出発。

敦賀ムゼウムは杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民を受け入れた施設。

赤レンガ倉庫。

気比の松原

敦賀半島にある常宮神社に向かって出発。想定外のアップダウンが続く。

約束の時間を15分も過ぎて到着。

大谷吉継が慶長の役で朝鮮から持ち帰り秀吉の命を受け(実際にはおそらく許しを受け)常宮神社に奉納したとされる朝鮮鐘の見学申し込みをしていた。遅刻しても快く見せていただいた。

ボクは基本的に戦争の略奪品(イギリスやドイツなどがアフリカや南米、アジアから無断で持ち出した品を含む)はすべて元の国に返還すべきだと思っている。だが朝鮮鐘に関しては難しい問題である。なぜなら吉継が持ちかえらなければこの鐘はおそらく存在していないからである。韓国で観光化されていない田舎のふつうの寺を訪ねたことがある人にはわかると思うが、李氏朝鮮による崇儒廃仏はとくに14、15世紀にはピークとなり、寺の建物、仏像などの破壊、焚書は苛烈を極めていた。おそらく信仰に篤かった吉継は廃墟となった寺院の跡から鐘を見出して本国に送ったと思われるからです。つまり「朝鮮を出るときには廃品だった」という点で他の戦利品とは一線を画します。その上で慶州及び韓国の関係機関が大谷吉継の文化的功績を認め、文書及び保管場所の案内にその旨明記するという条件でなら返還すべきと考えます。

寺の展望所からは敦賀湾が一望できる。

再びアップダウンを市内に引き返す。

永賞寺の吉継供養塔。関ケ原の数年後に建立されたとある。今回の旅でもっとも形ある史跡である。

参拝記念帳を見ると、この日だけで横浜、名古屋、仙台からの訪問者が並んでいる。大谷刑部がいかに人気武将かがわかる。

車を停めた岬には金ヶ崎城址がある。

途中、シュウの退き口となりそうな坂や階段を乗り越えて山頂まで登った。写真に写った顔が赤い。危なかったのかもしれない。

12時過ぎ。自転車を積んで、一路高速で帰路についた。

あまりの疲れにボクは夕食後、すぐに寝たが、なおみは練習と仕事をしていた。

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