白樺湖 F4大
- 2024/02/04 18:09
Our days
ユーザー「fukin」の検索結果は以下のとおりです。
2月2日分
ふだん,なおみに文書を楷書で書くように厳しく言われている。時代だから仕方ない。努力はしている。…が,役所や郵便局など,字を正確に読む仕事に就く人たちにも老若関係なく努力義務があるとボクは思う。
去年の春に2度も行った陸運事務局の松本支所の話である。NBの車検証の所有者名が「今井」になっていた。東京で車検を受けたときに発覚した。とりあえず車検は車の状態の検査なので所有権についてはあまり問題ではない。何とか事なきを得たので,帰ってから松本支所に電話した。どうやらやはり事務所側のミスであるらしい。書類の提出段階では確認したが,交付のときには確認を求められなかった。もとより車体番号や形式番号などの欄が多く,実質,一般人に確認は難しい。それにまさか苗字が間違えて印字されているとは気づくべくもない。
「諏訪郡原村上里」は画数が多いし,ゴン弁を楷書で二度も書くのは結構ストレスである。それを住所と使用の本拠と二度書く必要がある。…が,移転登録の際,なおみと一緒だったので,たぶんボクはきちんと楷書で書いたのだと思う。名前欄までたどり着いてほっとしたのだろう。油断して「村」の字が半草書となったと思われる。しかし…だ。
ご覧のように「村」と「井」は似ても似つかない字である。ボクが努力義務と表現したのはこれくらいは識別する能力が書類を扱う仕事の人には必要ではないかと言うことである。だからと言って電話口で文句を言っても詮無いことである。担当の人はどうやって訂正するか検討するので時間が欲しいと言った。ボクは松本行きを申し出た。
「たいへんでしょうからボクの方から出向きましょう。」
担当者は「それは助かります」と大喜びした。実はなおみが松本まで行きたいと言っていたのを思い出したのだ。そんなわけで,なおみの帰宅を待って二人で松本へ向かった。母は東京で帰りの時間の心配がない。今のボクらにとって陸運事務局まで行くことが,どれほど 楽しいことかたぶん想像できないだろう。
諏訪湖の西浜丸は営業を終えていた。他の船はまだ営業を続けているが,実は先週からワカサギが釣れなくなっているそうだ。この冬のシーズンは終わったらしい。西浜丸は釣れないのを承知で釣り客を迎えるのを潔しとしないということなのだ。そういう匂いはなんだかしていた。
岡谷で富士アイスに寄った。地元で評判の駄菓子屋だが,本店はその名の通り甲府らしい。お目当ては今川焼。ここではそう呼ばない。何と呼ぶのかまた忘れてしまった。関西では回転焼きと言う。調べてみたが「今川」の由来は分かっていないらしい。
塩尻インターから山麓線という抜け道を利用する。これが松本平を一望してまこと風光明媚な道路である。
世の中には東京のビルが区切る矩形の空を見ながら一生過ごす人もいる一方でこんな絶景を見飽きている人もまたいる。ボクらはその間のちょうどいい頃合いで引っ越したのかもしれない。
鮫洲でも松本でも陸運事務所はあまり変わらない。車検証の訂正,再発行は費用もかからず,短時間で終わった。Fくんが「手数料とか印紙とか言われたらこちらに落ち度はないと言い張らなくてはいけない。」と心配してくれたが杞憂だった。
さて,なおみの用である。北アルプスに美しい暮色が下りる気配があったが,当然なおみのお供が優先される。
目的地はここ,松本駅前にある井上百貨店。中信でおそらく唯一がんばっている老舗のローカルデパートである。人通りも少ない道の倉庫かと見紛うような地味なビルだが,よく見るとショーウィンドウがある。
正面玄関を入ると電波時計がかかっていて,スーパーの入口よりもプアだったが,フロアは化粧品売り場に売り子さんがスタンバイしていて,デパート然としている。
1Fの端にチョコレートの特設売り場が設けられていた。なおみの用とはこれである。バレンタインデーに口の肥えた贈り先がいくつかある。自称チョコレーターとしては例え都会を外れた身でも後れを取れないところである。
腰痛のボクが待つ予定だった場所が非常識なお年寄りに占拠されている。
使われていないカウンターの隅を借りて,荷物番の基地とした。
4
買い物完了。
松本城に移動した。
城の回りを一周したところで,いったんなおみを車に帰したのが正解だった。
怖ろしく寒いわりにはショボい夕焼けだったからだ。
午後6時。
プロジェクションマッピングショーのスタート。
国宝の壁に映像というのはどうかと思ったが,実際に見てみるとしっとりと風情あるイベントであった。
30分ほどで退散。
提供はエプソン。
渋滞を抜けて夕飯は岡谷のさんれーくまでがまんした。金曜の夜と言うのにお客さんが少ない。つぶれてしまわないか心配である。
この数時間の旅とも言えないドライブが今のボクにはヨーロッパを走る旅ほどに楽しい。
2月1日分
老人性鬱病というのがあるらしい。どうも母の無気力はそれに症状が近い。先日体調を崩したのもいただいた年賀状を見ていて寒中見舞いを書かなければと思い立ったのがきっかけだった。頼まれたボクは賀状をチェックして枚数を確認し,すぐに寒中見舞いをプリントして渡した。
「はい,手数料はサービス,用紙とインクで500円ももらっておこうか。」
この辺までは全く今までと同じノリだった。手間のかからないよう文面も2種類の挨拶を印刷してあって,表にも住所氏名を入れてある。母はひと言書き加えて宛名を書くだけだった。どうやら結局これが今の母には負担だったようだ。作業を始めた途端,鬱の症状に陥った。自分で言い出したのに,いざとなると賀状仕舞いを伝えるハガキを書くのがプレッシャーだったのか或いは単に作業そのものが辛かったのかわからない。このへんも母がウルトラ筆まめだったことをよく知るボクにとって俄かには理解できない。
体調をみるみる崩した母は中央病院の救急を受診し,CTや採血などできる限りの検査をしてもらったが体はまったく健康だった。原因と思われる寒中見舞いは目につかないところに隠した。しかし母はそのまま寝込んで,食事も日に一度おかゆを食べるだけの状態になった。4日目の朝に,このままではまずいと思ったボクは,母を励まして床を上げ,普通の朝食を食べさせてみた。全部食べた。顔色もよい。そこでさらに風呂を沸かした。
「もう3日も風呂にはいってないから臭うぞ!ゆっくりと身体も髪も洗ってくれ。」
はい。これが次なる原因となった。体調は完全に回復したが,どうやら「臭う」に過剰反応したらしい。LINEの嵐である。「シュウに汚いと言われた。」「きらわれた。」「口が臭いといわれた。」…ひどい濡れ衣だ。まあ,受け手の方もその辺はだいたい察してくれていると思われる。とりあえず,弟や友だちの間で暫く東京で預かるという話がまとまり,なおみに連絡が来た。
このような経緯で母の三度目の家出が決まった。その準備をするのもすべてなおみである。母の気分のいいときを見計らって,着替えを準備させ,重たい荷物は宅配便の箱に詰める。読みかけの本,スマホの充電器,補聴器の電池などを確かめる。さらにタイヘンなのは母自身がもう東京行そのものを忘れてしまっていることである。なぜ東京に行くのかも分からない。荷物を作るたびになおみが丁寧に「東京の人たちがお母さんに会いたいと計画してくれている。」と繰り返し説得する。
おそらくこれは日本中の家庭でありふれたことなのだろう。医者に言わせれば「この程度は認知症とは言わない」そうである。だが実態は同居する家族にしか分からない。
当日の朝が来た。霧が深い。なおみは早くに出勤したので,バス停に送るのはボクの役目である。
「なんで東京に行かなくちゃいけないの?」
オフクロが決めたことだ…とは言わない。みんなが会いたがっているといういつもの説明を繰り返す。
どうやらご機嫌でバスに乗った。おそらく東京に着く頃にはまた理由を忘れているだろう。みな,この状態に慣れていく必要がある。母との生活はまったく予想外のものとなった。「花を植える」「出かける」「買い物する」という母に振り回されて暮らす,まあそれも仕方ないかというだいたいの想像をしていた。ところがまさかの無気力状態。振り回されるよりタイヘンである。
権現岳
とりあえず弟たちのおかげでボクは一週間ほど母から解放される。
阿弥陀岳
夕方,諏訪響の練習に出かけるなおみといっしょに農場まで下りた。夕焼け狙いである。
いつものノスリ…レンズは持って下りなかったので,200mmのまま。8歩近づいたところで逃げられた。鳥撮り写真家の道は遠い。
甲斐駒から西に三ツ頭や鋸岳,編笠山が屏風のように連なる。それが釜無山で切れて,手前の入笠との間にすっぽりと谷が開けている。地図で調べると,どうやら冨士見から釜無川源流の作る谷が原村からはまっすぐ南に南アルプスを突き抜けている。以前から気になっていた遠く光る雪山は仙丈ケ岳なのである。これまで原村から南アルプスの西側の山が見えるとは思っていなかったのでこれは大きな発見であった。
22年前のアルバムをリニューアルしました。まもなく去年のニューヨークの風景もご紹介します。
2020年,コロナ感染拡大直前に訪れた能登半島の風景
収録した「七尾城跡」や「九十九湾」では史跡や風景にも大きな被害が出ているそうです。ボクにできることは何もないので,せめて春の美しい能登の風景をSNSでご紹介しました。このアルバムはそれをアーカイヴしたものです。
1月26日
朝,なおみが二階の窓から西空を見て,月が美しいと教えてくれたので撮りに出てみたが,山の端には雲が多かった。
沈むのが少し遅くて明るすぎる。西に沈むところを狙うなら十三夜か十二夜と思われる。
振り返ると面白いものが撮れた。原村からは赤岳は見えないとよく言われるが,阿弥陀岳と赤岳の間にある文三郎尾根に朝日が差すと,阿弥陀と中岳の反射光を受けて赤岳が我ここにありとばかりに光る。
500mmで撮影すると山頂小屋まではっきりと分かる。
午前中はFFストーブを全開にした室内でもダウンを着て過ごしていた。午後,いくらか寒さが緩んだので薪を運びに庭に下りると,花壇に福寿草が開いているのを帰ってきたなおみが発見した。冬を楽しんでいる。
1月25日
16時30分,スタンバイ。月の出は16時21分。八ヶ岳から昇るのは50分から1時間後と思われる。計算では今日は天狗岳あたりから昇ると思われる。
ボクが狙っているのは夕暮れに山の端から昇る月。夏だったか,たてしな農園の駐車場でなおみの買い物を待っているときに一度見てしまったのだ。夕空に映える権現から月が出現した。
日没頃に月が出るのは月に一度しかない。十四夜月である。どうやら今日も雲に阻まれてノーチャンスのようだ。
蓼科山の山頂が光って美しい。50-500はこれほどの条件ならけっこうな解像度を得られる。
北横岳。これらの写真を撮るために車から出て1枚シャッターを切るだけで手がかじかんでしまう。
午前中にヤマダ電機で手配してもらった業者さんがFFストーブの取り付けに来てくれた。
使用頻度の少なかった前機の修理をCORONAに依頼したところ,あっさり「10年を過ぎているので修理できません。」と言われたことに腹を立て,3台の石油ファンヒーターで頑張ってきたが,どれも2日を待たずに給油しなければならない。ほぼ毎日,しかも雪でも深夜でも容赦なく給油が必要となる。外にある石油タンクから給油するのは「男の仕事」だがこれを続けるのは厳しい。それに加えて大工の市川さんが「ファンヒーターはFFに比べて効率が悪いので燃料消費量が多くなる」と教えてくれた。さらにこの冬,母が薪ストーブに薪をくべることすらできなくなった。これは想定外であった。検討した結果,薪ストーブ+ファンヒーターという布陣では冬を越えられないという結論になった。
「メーカーさんも耐久性の優れた機械を作りたいのはヤマヤマなのですが,新しい機械を売り続けるためには平均10年で壊れる設計にするしかないのです。」
工事の若いお兄さんが言った。そう言うことなのである。
ストーブ設置工事の時間が決まらず,前売りチケットを買えずにいたコンサートの当日券があったので,午後,茅野まで下った。
たいそうな建築家の設計した茅野市民館。デザインは美しいらしいが何もかも分かりにくい。利用者のことはあまり考えらていない。図書館をガラス張りにして蔵書の表紙をことごとく退色させてしまってSNSで炎上したのも記憶に新しい。
窪島誠一郎さんのトークはとても面白かったが,少々寝てしまった。彼が水上勉さんの息子さんだと初めて知った。無言館を起ち上げられる道理である。
天満敦子さんの演奏は圧巻だった。頚椎損傷の大手術から辛いリハビリを経て昨年復帰。懸命に演奏される姿を見てなおみが隣でギクギク泣きながら聴いているものだから気が気でなかった。まだ楽器を安定して保持することができない状態だが,ピーンと強い音でストラディバリウスを弾いていた。
母の食欲がない。ツルヤで湯豆腐の材料を買って家路を急いだ。
夕焼けが美しかった。
休日に雪の予報が楽しみ過ぎて,なおみは朝5時から起きていた。
一緒にゴミ捨てに出て,そのまま近所をドライブするとキジが道路の真ん中で仁王立ちしている。
こんなときは必ず雄が囮になって近くにいる雌を守ろうとしている。カメラを持って車から下りると,案の定道端の茂みから雌が飛び立った。それでも雄は暫く動かない。
楽しみにしていた雪が降り出したが春の雪のように水気が多かった。おそらく村では雨だろう。
肌色というのは差別用語とのことで使えなくなったようだ。ジョンブリアンは直訳の「明るい黄色」になるのだろうか。もっとも肌を塗るのにジョンブリアンは使わない。
ヴァイオリン練習の合間にチェロの調弦をしてもらっている。ペグが滑ってしまって全く効かないのでペグコンポジションという潤滑剤を購入した。すぱっと止まった。潤滑剤を施して滑らなくなると言うのはなかなか盲点である。
バターロールに初挑戦。紺屋の白袴とは少し違うが,お義母さんがパン作りの名人なので,意外にもなおみはお菓子やパン作りの経験が乏しい。
スーパーでもらってきた発泡スチロールの箱の中で生地を発酵させるところなどはさすがである。
おいしく焼けたが形が少々細長くてバターロールには見えない。コッペロールと名付けた。
定点撮影すると張り切っていた雪は期待外れ。
夜には雨に変わった。標高1150Mで1月20日に雨が降ると言うのはもはや暖冬などという生易しいものだろうか。
母の体調が安定している。顔色もすこぶる良い。起きてきてこたつに掛けた。
NBは昨日バッテリーを繋いてダンパーの調整もしてある。二日間の晴天で雪は融け,今朝はとくに暖かい。霜が降りていない。これは氷点下になっていない可能性すらある。NBを下ろすにはうってつけの天候に恵まれた。
車検のため東京に向かう。出発は9時半,とりあえず母の体調は小康しているので,なおみに「早退の必要なし」と連絡した。
フルバケットは乗り降りこそ大変だが,一度座ってしまうと何時間でも平気な感じである。腰痛も肩凝りもなくしらべ荘から一気に石川PAまで来た。このまま,青森まで行けと言われても行ける気がする。
東京はさらに暖かい。NBを砧にあるFクンの勤め先の工場に運び入れた。今年は準備不足だったので,諏訪インターのオートバックスに頼もうと思っていたが,NBはほとんどノーマルのパーツがないほどカスタマイズされている。東京まで運んでもFクンに頼むのが無難だろう。
整備が終わって鮫洲にやってきた。
係りの人がためつすがめつ見ている。Fクンに依ればナンバーの位置やタイヤの摩耗度も危ないらしい。
排気音,排気ガスはクリア。下回りのチェック。
市販されていないオリジナルのガードがエンジンやデフの下に取り付けられている。いったいどういう人がこんなにパーソナルカスタマイズしたのだろうかと検査員が首を傾げていたそうだ。
無事合格!!東京泊りも覚悟していたが1回で通って助かった。
せっかく東京まで出てきたのだが,なおみをオケに行かせてやるために家路を急ぐ。
調布ICの前で給油しただけで,帰りも一気に境川まで来た。NBはバリバリの峠仕様だが,パワーウエイトレシオも圧倒的なので高速走行も楽ちんである。
境川で停まる必要もなかったが,なおみから母に夕食を食べさせて出かけたとの連絡を受けていたのでボクも夕飯を食べて行くことにしたのだ。しかしこの「素」のカレーライスが880円というのには驚いた。諏訪南インナーから家までの上り坂が心配だったが,八ヶ岳は温かな霧雨模様だった。練習を終えた諏訪響の団員たちも暖かさに驚いていたというからこれはさすがに異常気象と言わざるを得ない。