Moved
- 2023/04/19 23:13
Our days
2023年04月の記事は以下のとおりです。
4月19日が引っ越しの日になる。
2月に教室を閉めたのでボクらが3月中にも引っ越すと思っていらした方が多かった。
なぜこんなに間が開いたのか。それはちゃらTが4月16日に会ってお別れしたいと言ったからだ。
16日の後のゴミ収集日を引っ越し日に決めた。ちゃらTはボクらにとってそういう存在である。
昨年赤ちゃんが生まれて「パパでちゅよぉ~」のパパTに改名したが,ここでは紛らわしいのでちゃらTという旧名をそのまま使うことにする。
16日の夕方,雨上がりの遊歩道をボクらは歩いた。ちゃらTが予約したレストランが遠い。
ボクの腰に配慮して幡ヶ谷の近くを選んだつもりだろうが,かえって徒歩の距離は長い。
1.2kmは脊柱管狭窄症患者にはかなり苦しい距離である。
二度目の休憩。背に負うはクッションである。
HPで確認すると,アーリーアメリカンを模したオシャレな店だが,木の丸椅子は腰痛の高齢者には厳しい。
ブルーマジックを持参することにした。
ボクの通っていた中学校の先。
代々木は岸田劉生の油彩画の写生現場としても知られる坂の町である。
ついになおみもダウンして郵便局でチラシを見るふりをしながら腰を曲げて休む。
到着。ちゃらTにごちそうになるのは今日が三度目である。
一度目は三軒茶屋,二度目は目黒のそれぞれ古い倉庫か屋根裏かと見まがうような狭い狭い店で得体の知れないまずい料理を食べた。
それに比べると今日の店は格段に当たった。天井も高く広々としていて,場所柄セレブな客も多い。
ソファーのある予約席に通されてクッションの必要もなかった。
「道に迷いまして」と言い訳しながら,遅刻したちゃらT登場。
これも味のうちである。
味と言えば料理はどれも特急においしい。これにはびっくり。三度目の正直の大手柄である。
単純なちゃらTの鼻がみるみる高くなる。
メニューにあったコロナを頼んだ。
ちゃらTが教室にアルバイトに来ることが決まったとき,歓迎会と称してフラーデーズに連れて行った。
そこで「コロナの飲み方を教わりました。」と言う。
ボクらは知らなかったがお酒が初心者だったちゃらTはそのときトイレで吐くほど飲まされたらしい。
…長い長い思い出に花を咲かせながらコロナのボトルで乾杯する。
ちゃらTはそれをとても感慨深そうにしていた。
中学生だったときのこと,高校部のときのこと,バイトのとき,一人で送り込まれたニューヨーク旅行…
ボクらの続けてきた仕事が人を育てることだとすれば,彼はボクたちの最高傑作である。
☆彡☆彡☆彡
東京での全ての用は終わった。
なおみが2週間も前からコツコツと作っていた引っ越し荷物。
その段ボール箱の波がとうとうイーゼルを押し退けてPCに迫ってきた。
ボクも荷造りに入らなければならない。
さらば東京!
…とかっこよく決めたいところだが,会社の整理の関係で住民票はまだしばらく渋谷だし,家のメンテナンスにも再々来る必要がある。
4月15日
タローを喪ったとき,ひときわ明るい色の花が送られてきた。多摩センター時代の教え子A奈からである。彼女らしい色合いにボクたちは泣きながら癒された。花といっしょに「虹の橋」の絵本もくれた。それから毎年命日には大きな花かごを送ってくる。3年目にボクらから「今年でお終まいにして」と頼むと4年目からは手紙やメッセージが届くようになった。
彼女は中学生のときからアイドルのように可愛らしかった。声はアニメ声だった。教室を江東区に移転開校したときは,チラシ配りに駆けつけてくれた。暫くして教室で事務のアルバイトをするようになった。大学をはさんで江東区から多摩センターまでの通勤時間は2時間近かった。そのバイト料をすべてつぎ込んで教室の英会話クラスのニューヨーク旅行に参加した。
結婚式にもボクたちを招待してくれた。花嫁はおとぎの国のお姫様のように美しかった。ボクは乾杯の音頭という生涯一度の大役を任された。
赤ちゃんが生まれたときにはまた2時間かけて教室まで報告に来てくれた。
「八ヶ岳に行く前に」と,調布でA奈とお昼を一緒にした。
「先生たちちっとも変っていない。」
そう言うA奈こそおとぎの国のお姫様のままだった。
薄々は感じていたが,彼女の結婚生活が不調に終わったことを初めて聞いた。なぜこんな子に試練を受けさせる必要があるのだ。たぶん彼女は美の女神の嫉妬を買った。A奈がタローを喪ったボクたちを慮って花や手紙を送ってくれていた日々は彼女自身にとっても辛い日々だったことを思うと鼻の奥がつんとなった。でもそういうのはA奈のキャラに合わないので,ボクらは笑顔のまま,山での再会を誓って別れた。彼女の息子は今年中学校に入ったそうだ。ボクたちはいつか彼の役に立てるような人間であり続けようと思う。
4月14日
師匠は何週間も前から皿を素焼きして準備してくれる。
前日には使いそうな絵具を全部お湯で緩めておいてくれた。
筆もパレットも台もセッティングし,バイオリン協奏曲のCDをかけて,広い工房を明け渡してくれる。
だからボクはどうしても結果を出したい。
これがこのままの色合いで焼きあがるとは限らない。そこが絵付けの難しいところで面白いところでもある。
作業が終わってから近くの量販店でプリンターを買ってきてセッティングした。
師匠のPCは家のネットワーク上にはなく,専用の回線を直結しているから,プリンターもUSBで接続する必要がある。
暮れに買ったデジカメはまだ画像をPCに取り込む作業ができないでいる。
プリンターやデジカメの使い方を丁寧に説明するがマウスのタッチが思い通りにできなくなっている。それが精神的にも辛そうだ。
ワードやエクセルのバージョンは10年以上前のもの,フォトショップは15年を超えているが新しいインターフェースに対応できないので変えられない。
師匠はとても不安そうだった。ボクが東京を去って,もっとも困るのはたぶん師匠だ。
師匠がブログを続ける限り,たぶんボクは定期的に東京に来なくてはならない。
帰り際,部屋のゴミ箱にゴルフのアイアンが1本差さっているのを見つけた。
「師匠,これ何するんですか。」
「泥棒が来たらこれで戦うんだよ。1階で食い止めて,家内のいるところには行かせない。」
今の師匠のデジタル的不自由はそのまま20年後のボクの姿である。ボクも今のうちにボクを見つけておかなければならない。
4月13日
編集部から初校というファイルが送られてきて,面談打ち合わせの日程が決まった。
初校…初?
…あ,これからなんですね(;^_^A
自転車はもうしらべ荘に置いて来たので,なおみに送ってもらって帰りはひとりで電車という大冒険。
編集長と担当者お二方が同席の会議,作者のしのざきさんはZOOMで参加されていた。
絵の修正箇所はたいした数ではなかったが,文は,毎回編集長の気分が変わるのでたいへんそうだった。
続いて「表1,表4,見返し1,2,見返し3,4,扉」の打ち合わせに入ります。
え?
つまり表紙,裏表紙,その裏側,中の扉の絵など。
なるほど,言われてみれば当たり前だが,まだ7枚も絵を描く必要があるのだ。
今度は家の引っ越しと締め切りがもろにかぶる(;^_^A
絵本をひとつ作るというのはたいへんなことである。
会議は11時から13時までまったく休みなく続いて終わった。
JR中央線で新宿まで来るとさすがに腹ペコになってしまったので,地下街を根性で歩きイマサのカレーを食べた。
物心ついた頃からの老舗。食べ治めかもしれない。
4月7日
名古屋から西へ木曽川,長良川を渡り,揖斐川と長良川に挟まれた細長い洲は岐阜県になる。日本地図のイメージでは岐阜県は愛知県の北側にでんと座って見えるが,実は名古屋城より南までこの洲が伸びている。その中央にある広いお邸が次の目的地である。
天然芝にボール…
室内はもうボクの絵のギャラリー状態である。
もう壁にスペースがなくなるほどボクの作品を買ってくださった。
そしてサブとかすみという名の2頭のゴールデンがボクたちを待っていた。最初の5分ほどは声も出ないほど2頭にもみくちゃにされた。
ああ,体にゴールデンが染みわたる。
ループがアメリカに行ってしまって,ボクたちは深刻なゴールデン欠乏症に陥っていた。今度の旅はその治療も大きな目的であった。
サブとかすみはしらべ荘にも遊びに来てくれた。もちろん,ボクたちを覚えている。
胸に顔を埋めて思い切り匂いを吸い込み,懐かしい後頭部の形を堪能するまで眺める。
甘噛み。指をさぐる歯の感触。
さて,事前に奥さまとの間で,
「お昼を召し上がっていってください。」
「それではお言葉に甘えて」
…というメールのやり取りは確かにあった。
そのお昼…ウナギが重なって,少しずらさないとごはんが写らない。人生最初で最後の経験となろう。
お腹もいっぱい,ゴールデンもいっぱい。
さようなら。また金欠したら伺わせてください。…この二人をしらべ荘で預かる企みが芽生えた。いつか実現するつもりだ。
4月6日
漂泊の思ひやまずとは芭蕉翁,チェロのレッスンを終えたボクたちは春旅に出る。
スペースに荷物を詰めるだけ詰めてしらべ荘に寄る。タローのお骨やチェロ,一部の電子機器などトラックでは運びにくい荷物を運ぶためだ。
庭のコヒガンザクラの蕾は固い。季節を1か月遡って来た。
中央道を南西に進むと再び季節が進んでゆく。諏訪湖周辺はむせ返るほどのソメイヨシノに埋まり高遠まで下ると花吹雪,飯田は葉桜となっていた。
恵那山トンネルを抜け東海自動車道を南下する。美濃を旅するのは明智旅以来だろうか。タローを喪って1年余り,まだ胸が苦しいほどに痛んでいた頃のことだった。ザラザラとした胸の痛みが蘇る。明智旅のあとコロナ禍に見舞われ,自転車を積んで旅するようになった。訪ねた場所のほとんどはタローを連れて行こうと計画していた場所ばかりである。チクリと痛みの残る胸で巡るボクたちの旅は鎮魂旅でもある。
予報通り雨模様となってきたがサイクリングは旅の後半に計画しているので問題はない。名古屋に入ると土砂降りになった。
教え子を除けば,現在,ボクたちの交友関係の90%はインターネットで知り合った人たちである。30年来の親友でもきっかけはwebサイトでの出会いであった。ボクはどうもインターネット上でのお付き合いとか繋がりにほとんど意味を感じていない。webサイトやSNSは目的ではなくあくまで手段と道具である。気が合う人と知り合うとすぐにオフで会いに行く。だから北は道東の美幌から南は九州まで全国に友だちがいる。さすがに海外となると会いにいくことはできないが,ボクの場合,絵やカレンダーを買ってもらったりすると,その後,手紙のやり取りくらいはできるのが楽しい。だが相手の方々はたいていそうは思っていない。オンラインの知人と会うのはとても危険なことだと思っているし,たいていの方は「シュウさんたち以外にオフで会った人はいません。」とおっしゃる。
名古屋の知人もそんな一人である。のんべえなのでご相伴仕るためにはどうしても泊めていただくことになる。漂泊の旅の趣旨から外れるがこれもまた一興。廊下にはボクの油彩画,玄関にはノイシュバンシュタイン城の写真が飾られている。奥さんの趣味は小物作りで,素人の域を超えている。部屋にあるものはみな手作りである。
もちろん,料理も得意でオリジナルのレシピが豊富である。タケノコ尽くしも美味かったが,この新作,粉を使わないお好み焼きが絶品。ビールにワインに日本酒。いやはや過ごした過ごした。
翌朝は「名古屋らしいモーニングを食べてみたい」とリクエストして,店に連れて行ってもらった。
ロボットがモーニングを運んできた。老舗の喫茶店をイメージしていたのだが,これもまた一興。
モーニングはしっかり名古屋風である。
年代も少々違う陽気なご夫婦。不思議なご縁である。